冬季五輪史上最多8度の出場経験を持つノルディックスキー・ジャンプ男子の葛西紀明(49=土屋ホーム)が〝還暦ジャンパー〟になる覚悟を明かした。10月の全日本選手権で結果を残すことができず、来年2月の北京五輪出場は絶望的。しかし、本人に現役を退く選択肢はなく、悲願の金メダルへの挑戦をあきらめるつもりはない。50歳を目前に控えるレジェンドが本紙に語った野望とは――。

 どんなに厳しい立場でも気持ちの糸が切れることはない。葛西は10月の全日本選手権ノーマルヒル(NH)、ラージヒル(LH)でともに22位。ワールドカップ(W杯)や下部大会のコンチネンタルカップ(C杯)のメンバーに選出されず、北京五輪出場は絶望的となった。

 それでも、葛西は「辞める気は全くない。いけるところまでいく」と断言。4年に一度の大舞台を「特別なもの」と話すレジェンドには〝忘れ物〟があるからだ。初出場の1992年アルベールビル五輪から30年、年齢も「大台」の50歳を迎える2022年。その節目のシーズンを前に本紙の取材に応じた葛西は「3回ぐらい金メダルにかすっているんですよ」と切り出すと、自身が歩んできた〝五輪史〟を振り返っている。

 最初に頂点が見えたのは94年のリレハンメル五輪。西方仁也、岡部孝信、原田雅彦と臨んだ団体はドイツに逆転を許して銀メダルに終わった。仲間の不本意なジャンプが順位を下げる要因となり、葛西は「いろいろありましたね」と苦笑い。続く98年長野五輪は団体が悲願の金メダルを獲得したものの、今度は自らの名前がなかった。「あそこは日本チームがすごい強くて、出れば必ず金メダルが取れると思っていた」。だが、ケガの影響もあり「ギリギリまで選考が続いたが、最後の4人目に選ばれず、そのメンバーに加われなった」と涙をのんだ。

 そして、14年ソチ五輪はラージヒルでカミル・ストッホ(ポーランド)との接戦の末に銀メダル。1回目は139メートルでストッホと同じ飛距離ながら得点で下回り、2回目はストッホを上回る133・5メートルを飛んだにもかかわらず、僅差で届かなかった。「(2本目は)僕のほうが1メートル飛んでいて、最後まで電光掲示板を見るまで分からなくて…。パッと見たときに1・3ポイント差、距離にして80センチ。これで銀ということだったので、もう悔しいけどうれしいような。そんな気持ちだった」

 当時41歳でメダルを手にし、世界最年長記録を更新。その後もW杯個人最多出場回数(569回)でギネス記録を塗り替えてきたレジェンドは「8回も五輪に出場できて幸せな部分もあるが、やはり金メダルを取れていないイコール世界一を取っていないということ。その部分であきらめ切れない」と胸の内を明かした。

 年齢のことを問われても「衰えを感じていないし、体力も余りあるぐらいある」と言い切るほど、心身の強さは健在。残る技術面さえかみ合えば、世界を相手にできると自信をもつ葛西は次のような〝野望〟も口にした。

「還暦を超えてもというわけにはいかないけど、還暦まではできるんじゃないかなって。たった11年ですよ? すごく短く感じているし、もし北京がダメでも4年後のイタリア(ミラノ五輪)だったり、8年後は札幌で(五輪が)あるかもしれない。そこで58歳(の年)。ケガや病気がない限りいけるんじゃないかな」

 表彰台の頂点に立つためなら〝還暦ジャンパー〟にもなる覚悟。レジェンドの挑戦はまだまだ続く。

☆かさい・のりあき 1972年6月6日生まれ。北海道・下川町出身。小学3年でスキーと出会い、中学3年の宮様大会のテストジャンパーとして優勝者の記録を上回り話題となる。94年リレハンメル五輪団体銀メダル。2014年ソチ五輪ラージヒル銀、団体銅メダル。冬季五輪連続最多出場(8回)、冬季五輪スキージャンプ最年長メダリスト(41歳256日)、ノルディックスキー世界選手権最多出場(13回)、W杯最多出場(569回)、W杯最年長優勝(42歳176日)の5部門でギネス記録認定。土屋ホーム選手兼監督。176センチ。