【新日本】坂口征二氏が激動の〝50年秘話〟告白「猪木さんにもう一回リングに上がってもらいたい」

2022年01月05日 05時15分

東京ドームで新日本プロレス激動の50年を振り返った坂口征二相談役(東スポWeb)
東京ドームで新日本プロレス激動の50年を振り返った坂口征二相談役(東スポWeb)

 メモリアルイヤーが華々しく幕開けだ。プロレス界の盟主・新日本プロレスが4日、旗揚げ50周年のスタートとなる東京ドーム大会「レッスルキングダム16」を開催。オープニングに団体創始者で闘病中のアントニオ猪木氏(78)が大型スクリーンに〝登場〟し花を添えたが、1973年4月の入団から山あり谷ありの団体を支え続けた功労者の〝世界の荒鷲〟坂口征二相談役(79)が本紙の取材に応じて〝50年秘話〟を告白。さらに55年の付き合いとなる戦友・猪木氏へ熱いメッセージを送った。

 1972年3月6日に旗揚げした新日本のメモリアルイヤーは、猪木氏のメッセージ映像で幕を開けた。「1・2・3、ダーッ!」と掛け声を発すると、会場からは万雷の拍手が巻き起こった。

 この光景を感慨深く見つめていたのは長年にわたり団体を支え続けた坂口氏だ。「いろいろなことがあったけど、本当。苦しい時は残った人間が頑張って、また立ち上がって…。いい思い出ばっかりだよ。50年、よくみんな頑張ったと思うよ、社員も選手も。俺は選手20年、社長10年、相談役20年とどっぷり漬かって一番古株になってしまったけどな」と柔和な笑みを浮かべた。

 振り返れば波乱万丈の連続だった。「モハメド・アリ戦(76年6月)の後は十何億も借金、つくってよ。あの時は本当どうなるかと思ったけど、テレビ朝日が肩代わりしてくれて、頭上がんないよな」。坂口氏は73年4月、NETテレビ(現テレビ朝日)からの応援を約束された上で日本プロレスから移籍した。

 これが「ワールドプロレスリング」の新日本中継の始まりだ。「危ない時もあったんだよな。日テレが(2009年にプロレス中継を)やめて、テレビ朝日もそうなるんじゃないかみたいなうわさもあった。でも『猪木さんと一緒になったら全面的に応援する』という約束を本当に49年間守ってくれて…。今日があるのもテレビ朝日のおかげだと思うよ」と感謝を口にする。

 1984年に見舞われた長州力らの大量離脱は、武藤敬司、蝶野正洋、故・橋本真也さんの闘魂三銃士の台頭で乗り切った。格闘技人気に押された2000年代前半は観客動員で大苦戦した〝暗黒時代〟で、「東京ドーム撤退」を進言する声も社内にあった。それでも坂口氏は「新日本のためじゃない、日本のプロレスのためにやるべきだ」とスケール維持にこだわってきた。

 この日の大会も集客は1万2047人(主催者発表)と苦戦したが「もっと勢いよくいきたかったと思うけど、ここ2年はコロナで勢いを出せなくなったよね。世の中みんなそうだろうけど、正常に戻るにはまだ時間、かかるだろうから。頑張って一刻も早く以前の状態に持っていってもらいたい」とエールを送った。

 最大の戦友である猪木氏は闘病の姿が大きな話題を呼んでいる。「一番最初に映像を見た時は、俺は本当、涙が出そうになってよ。文句を言ったんだ、猪木さんの事務所のやつにね。『なんであんな写真を出すんだ』って」と振り返るが、徐々に元気を取り戻している様子を見てひと安心したという。

「55年の付き合いだけど、あの人の生き方も、すごいところもずっとそばで見てきた。あの人の生き方を俺はまねできなかったけど、不屈のものを持っていたし、元気になってもらいたいんだ。奇跡が起きるんじゃないの? あの人には」と復活を信じている。

 激動に次ぐ激動を乗り越えてきた坂口氏には一つの願いがある。「本当は猪木さんにもう一回、新日本のリングに上がってもらいたいよね。思い入れはあると思うよ。記念イベントができるなら、藤波(辰爾)から長州から全員そろってもらいたい。いろんなことがあったけど、50年を迎えられるんだから。ケツまくって逃げたやつもいたし『コノヤロー!』って思うやつもいたけどよ(笑い)。今となってはみんな集まってやってみたいと思うよね」

 再会の日を夢見て、世界の荒鷲はこれからもセルリアンブルーのリングを見守り続ける。

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