【プロレス蔵出し写真館】台湾・台北市内の料理店で行われた宴は、酒が進み大盛り上がり。そんな中、唐尼・山多・克雷は本人を目の前にして〝燃繞的鬥志〟安東尼奥豬木のモノマネを披露した(写真)。

 名前は現地で表記されていたもので、日本での異名は当て字で表現されていた。〝燃える闘魂〟アントニオ猪木の目の前で、本人のモノマネをしたのはトニー・セントクレアー。猪木がナックルパートを見舞う直前の、怒りの表情を真似たものだ。このどこかしらユーモラスな光景にハクソー・ヒギンズ、坂口征二、ケリー・ブラウンら、まわりの選手は大ウケ。猪木本人も爆笑だった。
 
 今から36年前の1985年(昭和60年)9月19日、新日本プロレスは東京体育館で猪木VS藤波辰巳(現・辰爾)の頂上決戦を行った。猪木の卍固めに藤波はギブアップせず、35分29秒、特別レフェリーのルー・テーズが試合を止めてレフェリーストップ決着。それでも、真っ向勝負の試合内容は久々にファンの感動を呼んでいた。

 そして、翌20日に猪木一行は初の台湾に出発した。中正空港(現・桃園国際空港)に降り立った新日勢にマスコミ、さらに一般市民も殺到した。プロレス大会の収益をアマチュア協会に寄付するということで、特別に開催が認められ、力道山以来、28年ぶりのプロレスとあって市民の注目を集めていた。

「猪木一行、訪台」のニュースは国営放送の中華テレビが放送し、中国時報新聞は記者が同行取材した。バスでの移動はすべてパトカーが先導するというVIP待遇だった。

 新日一行は、蒋介石が祭られている中正記念堂で献花した後、市内のマンダリンホテルでワイドショーのインタビューを受け、それが終了してから空路台北から高雄入りした。高雄市の大統デパートで行われた会見には地元の記者、カメラマン約50人も詰めかけるフィーバーぶりだった。

「85’埠際角力冠軍邀請賽大會」(インターナショナル・ワールドレスリングマッチ)と銘打たれた大会は21、22日が高雄市、23、24日は彰化市、26、27日台北市と全6戦を行った。「猪木、角力登陸」のノボリが立てられ、1会場平均9300人の大観衆を集めた(主催者発表)。

 最終日の27日、猪木はマスクド・スーパースターとシングルで対戦。延髄斬りで勝利し、大会を通して最優秀選手に選ばれトロフィーが手渡された。

 そして試合後、外国人レスラーも参加しての無礼講で大会打ち上げが行われたのだった。恒例の一気飲み大会は紹興酒で。宴会の最後は猪木の胴上げで締められた。大会が大成功に終わったことで大盛り上がりとなり、レスラーは皆、満足げな表情だった。一番の盛り上がりはセントクレアーのモノマネだったのは間違いないだろう。

 台湾へは翌年、全日本プロレスが初遠征。新日本も88年に2度目の遠征を果たしたが、この遠征中に猪木と長州力が久々にタッグを組むというサプライズもあった。

 ところで、そんな猪木は最新のユーチューブで最近の生活について語り、コロナにかかってその後、菌に侵されたと告白。そして「病院の先生に3回も、『今回はダメかなと思った。復活したんでびっくりしました』」と話をされたことを明かした。

 まだまだ予断を許さない状況が続きそうだが、切り抜けてもらいたいところだ(敬称略)。