平和が一番ダーッ!! 闘病中の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(79)が約5か月ぶりの本紙単独インタビューに応じ、現在の心境を激白した。自身の公式ユーチューブチャンネルで入院していたことを告白しているが、体調の不安を豪快に笑い飛ばすと、試合中のアクシデントで「頸髄損傷」の大ケガを負った弟子のゼロワン・大谷晋二郎(49)、現役時代から縁のあるロシアへの複雑な思いを語った。

――まず、現在の体調はいかがですか

 猪木氏(以下、猪木)見た通りで、ごまかしようがないんだけど…。4回くらい、医者でもビックリするくらい死にかけているのに、まだこうして生きていますよ。ダーッハッハ!

 ――お元気そうに見えます

 猪木 その「元気そう」っていうのが売りものだったんだけど。本当に元気じゃないと元気は発信できないんで毎日、体調管理に気をつけていますよ。入院? 3年くらい出たり入ったりしてるから、もうね(笑い)。

 ――弟子の大谷が4月のゼロワン両国大会で大ケガを負ったが

 猪木 2、3日前かな、詳しい話を聞きました。「こういうアクシデントはしょうがない」というわけにいかないけど、やっぱりレスラーは首が基本というか。俺は(現役時代に)ブリッジも「世界一だろう」というくらい何百キロの重りを乗っけてやっていたこともあった。逆に言えば、プロレスというのは非常に甘く見られることもある半面、全くそうじゃない厳しい面があるんでね。俺も60年近くで何回かは病院に送られて悪いところはたくさんあるけど…。

 ――師として大谷にどんな言葉をかけたいか

 猪木 甘い言葉は言えないね。「早く良くなってください」とか。聞くところによると、かなり重傷だって聞いていますんで。頸椎は怖いっていうかね。首は運動を欠かさずやっていても、それでも受け身をとる時の角度によっては…。

 ――複雑な思いがある

 猪木 俺が心配したってしょうがないから。そういう意味では、俺が入門してそれからずっと新日本(プロレス)で走り続けてきて、そういうケガのことも含めて選手たちのあれ(体調ケアのシステム)を考えてあげればよかったな、なんてことを思っています。

 ――猪木さんは1989年に旧ソ連からレッドブル軍団を連れてくるなど、ロシアと親交があった。ウクライナ侵攻でロシア情勢が緊迫している

 猪木 俺が最初にモスクワに行った時、向こうの偉い人と会うチャンスがあったんですよ。(元外務省主任分析官の)佐藤優さんも書いているけど、その時、KGB(ソ連国家保安委員会)のビルに入ったら、今は絶対権力になったプーチンがお茶くみをしていたんだよね。しかし、プーチンがKGBというのはわかるけど、戦争を体験していないと思うんだよね。そこで参謀にどういうのがついて、どう指示を出しているのか…。

 ――議員時代にも猪木さんはロシアと独自のルートを築いていた

 猪木 付き合いが大事なんで。「こいつなら信用できるな」っていう。当時はいろいろ(他国に比べ)遅れてきていることをロシアの要人はわかっていたと思うけどね。そういう面でいろんな情報やなんかを交換して。

 ――平和のためにも対話のチャンネルを持つことも必要だと

 猪木 そうですね。俺は変なスパイ行為はしてませんけど、いろいろ頼まれたことがあったので、非常にいい関係ができたんですけど。

 ――ちなみに当時はどんな関係を

 猪木 バグダーノフ将軍とかね。彼なんかは「猪木、何か欲しいものないか?」っていうから「軍服をくれ」って言ったら「うーん…」って頭を抱えて「分かった」って。俺のサイズがなかったのに、寸法を取って作ってくれた。それで(ショータ)チョチョシビリという柔道のチャンピオンだった選手(※)と一緒に軍服を持ってきてくれた。それを着て、ウオッカを2、3本空けたのを覚えています。

 ――今回のことで日本人も改めて平和を考えるきっかけになった

 猪木 うん。日本人にとって無関心というか、あの辺はわからない部分でしたからね。私はウクライナの隣国モルドバにも行ったことがあって。モルドバの中にもロシアの兵器の倉庫があるんだ。そういうふうにあの辺はいつももめごとがあった。やっとここにきて、ウクライナ問題で多少専門家も話をするようになった。認識が高まった、ということだと思いますね。

 ※ 旧ソ連(現ジョージア)出身のミュンヘン五輪柔道金メダリスト。ペレストロイカの流れを受け、1989年にプロ転向。同年4月に新日本プロレス初進出となった東京ドーム大会では、裏投げ連発で猪木にKO勝ち。5月の再戦では猪木の裏十字固めにリベンジを許した。2009年死去。チョチョシビリ氏と親しかった柔道関係者によれば、プロレスのリングに上がった理由は夫人の治療費を捻出するためだったという。