「王座統一戦」という言葉は、いつの時代もプロレスファンの胸を熱くさせる。世界最大のプロレス団体WWEの祭典「レッスルマニア38」(4月2、3日、テキサス州アーリントンAT&Tスタジアム)でも、WWE王者ブロック・レスナー対ユニバーサル王者ローマン・レインズの王座統一戦(3日=日本時間4日)が世界中の注目を浴びている。

 実は1979年から80年代前半にかけて、前身のWWFは他団体との統一戦に積極的に打って出ていた。まだNWA、AWAといった他の勢力とそれぞれのテリトリーを守りつつ、短いながらも「共存共栄」を保っていた時期だ。「統一戦」を切り札に各団体がビッグマッチを開催していた。

 その主役が“ニューヨークの帝王”ことWWF世界ヘビー級王者のボブ・バックランドだった。79年3月25日トロントでAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルと統一戦を行うも、両者カウントアウト。王座移動はなかった。

 そして80年9月22日には、本拠地のニューヨークMS・Gに満員2万1000人を集め“美獣”ことNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスとダブル王座戦を行う。本紙は一大決戦の詳細を報じている。

『流血の大乱闘! WWF王者バックランドがNWA王者レイスを反則勝ちで下した。「勝った方が世界一」の栄光をかけてWWF世界ヘビー級王者ボブ・バックランドと、NWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが対決したプロレスファン注目の一戦は22日(日本時間23日)当地のMS・Gに満員の観衆を集めて行われた。断然有利と予測された若いバックランドが先手を取って攻めまくった。腰を抱いて上体をそらすと得意のジャーマンスープレックス。しかし“死地”ニューヨークに乗り込んできたレイスはさすがにしぶとい。ブレーンバスターから得意の場外戦に持ち込み、両者血ダルマ。スポーツの限界を超えて決闘の世界へ突入した。だがコブラ合戦の最中にレイスの右腕がレフェリーの顔面を直撃。レフェリーは35分41秒、反則のゴングを要請した。バックランドの反則勝ちでタイトルの移動はなし。2万余の大観衆は喜んでいいのか、怒っていいのか、ざわめきの中で試合は終了した。レイスは「不利な条件を承知で受けたんだ。完勝じゃなくてもいいだろう。今度やる時はセントルイスだ」と叫んだ』(抜粋)

 結局、王座の移動はなかったが、美獣の言葉通りに11月7日にはNWAの本拠地であるセントルイスのキール・オーデトリアムで再戦が行われる。3本勝負で行われた統一戦は、レイスがダイビングヘッドバットで先制。2本目はバックランドがアトミックドロップでタイに持ち込むも、最後は興奮したバックランドがトップロープ越しにレイスを投げ捨てて反則負け(オーバー・ザ・トップロープ)となった。

 本紙では「バックランド王座奪取寸前ルール忘れる!」の見出しが立っている。今回も王座移動はなく、両者の戦績はバックランドの3勝1敗1分けとなった。バックランドは82年7月4日アトランタでも当時のNWA王者リック・フレアーと統一戦を行うも、これまたダブルカウントアウトで決着はつかなかった。

 勝敗よりも当時のメジャー3団体の王者同士が統一戦を行うことに意義があり、ファンも心を躍らせていた平和な時代だった。80年代中盤からはWWFが全米制覇に進出して市場独占に動いたため、統一戦は以降、わずかな特例を除いて途絶えてしまう。80年代のほんの短い期間の夢だったのかもしれない。(敬称略)