前回に続き、今週も昨年12月31日に亡くなった“怒涛の怪力”こと故ストロング小林さんの足跡について書きたい。1967年7月27日名古屋で日本人初のマスクマン「覆面太郎」(相手は大磯武)としてデビューしたことは有名だが、残された資料は意外に少ない。同年7月9日付本紙はデビュー戦を控えた覆面太郎の特訓の模様を報じている。国際プロレスは総勢13選手で次期「パイオニア・サマー・シリーズ」(27日開幕)へ向け、千葉・鴨川でキャンプの最中で「国際の秘密兵器・覆面太郎」の見出しで期待の新人の成長ぶりが明かされている。
「キャンプでひときわ目立つのは小林省三だ。188センチ、117キロの巨体にマスクをつけたのだから(宿舎の)レストハウスの従業員も目をシロクロさせていた。腕回り46センチ、太モモ72センチ、胸囲138センチとケタ外れの体格はまさにアポロ。国際は金の卵を大事に育て、デビュー戦には日本人初のマスクマンとしてリングに上げる。リングネームも覆面太郎に決まった」
いきなり本名が公表されていた事実には驚くが、キャンプではすでに破格のポテンシャルを見せつけていたようだ。
「最初マスクをかぶることには抵抗を感じましたが、やる以上はデビュー戦からガンガン暴れる。日本で初めてのマスクをかぶるレスラーですから責任もある。それにこたえるだけのファイトをやってみせます」と小林は意気込んでいる。スパーリングではバックブリーカーやバナナスプレッドなどの大技を連発して他の若手レスラーを寄せ付けなかったようだ。
コーチ役のミスター鈴木は「とにかく小林君の良さは巨体の割には足腰のバネがいいことだ。ボディービルをやっていたのだからその腕力の強さは豊登さんに匹敵しますよ。この持ち味をうまく生かして正統派のレスラーに仕上げたい」と大きな期待を寄せている。
そして迎えた7月27日デビュー戦。相手はキャリア1年上の大磯だ。
「紺と白地に日の丸を縫いとった覆面で登場すれば、観客のウチワの動きがピタリと止まった。巨漢の大磯があらゆる技を使っても怪力でハネのけられ、いっこうに通ぜず。覆面太郎は長引いては面倒とばかり、一気にボディースラムを爆発させ、ニードロップでデビュー戦を飾った」
圧巻の初陣にも「別段硬くならなかった。汗さえマスクにたまらなかったら、もっといいファイトができた。スタミナには自信があるから、先輩レスラーに負けないように頑張ります」と堂々語っている。本紙の評価も「マスクマンは悪党というのが通例だが、この覆面太郎は“黄金バット”のように“正義の覆面”として日本のプロレス界の新星となりそうだ」と高かった。
覆面太郎はその後も快進撃を続けるが、翌68年1月3日からTBSのテレビ中継が始まると同時に素顔になった。わずか半年弱の覆面時代ではあったが、気の優しい部分があった小林にとっては、勝負度胸をつけるのにはうってつけのマスクマン時代だったのではないだろうか。同年10月からは欧州に遠征。ストロング小林としての黄金時代が幕を開ける。(敬称略)












