“世界の荒鷲”こと坂口征二新日本プロレス相談役は来年2月に傘寿(80歳)を迎え、8月でデビュー55周年となる。団体も旗揚げ50周年というお祝い続きのメモリアルイヤーを迎える。

 1970年代から80年代前半、アントニオ猪木がNWF世界ヘビー級王者として君臨していたのに対し、坂口はパートナーを代えながらNWA北米タッグ王座を史上最多の5回戴冠を記録。「北米最強の男」というフレーズは荒鷲らしい渋さとカッコよさがあった。

 そんな荒鷲は76年10月に「南アフリカ最強の男」の称号を得る快挙を達成している。南アで開催された「世界スーパーヘビー級選手権大会」(10月30日~11月13日)に新日本代表として参戦。「優勝できなかったら帰国しない」との言葉を残して離日した。カール・ゴッチら26選手が参加し、トーナメント戦の予定だったが、南アの英雄であるEWU世界スーパーヘビー級王者のジャン・ウィルキンスに挑戦するシリーズに変更となった。

 しかも坂口は開幕戦でウィルキンスに挑戦する大チャンスを得て、2―1で王座を獲得する大殊勲を挙げた。王者は新日本に来日経験もあり、約3年ぶりの激突となったが、空手チョップと柔道の払い腰でラッシュ。1本目は王者がベンジュラムバックブリーカー(振り子式ワンハンド背骨折り)で先制するが、ここから坂口は一気に逆襲を仕掛けた。

 2本目は必殺のアトミックドロップで3カウントを奪う。本紙記事によると決勝ラウンドは意外な結末を迎える。

「坂口がアッと驚く攻撃を見せた。突っ込んでくる王者にジャンプ一番、ドスンという感じでドロップキックを叩きつけたのだ。坂口のドロップキックはプロレス入り以来、初めてのものだ。両手を開いてジャンプした瞬間、両足をピーンと伸ばして叩きつける“吉村道明流”が王者にヒット。そのまま強引に逆エビ固めでギブアップを奪い、南ア遠征第一戦で王座をその手にした」(抜粋)

 坂口は本紙からの国際電話に「いきなりのタイトル挑戦で自分でも驚いた。ドロップキックは生まれて初めてですよ(笑い)。夢中で飛んでいました。向こうも驚いたでしょう。(シングルは)73年の3月にUNを手放した時以来、3年8か月ぶりですかね。このタイトルは絶対に日本に持って帰る」と意気揚々と語った。
 坂口は翌日から南アの英雄を破った男として、地元のテレビ番組などで引っ張りだことなり、国内を転戦。逆に一気に権威を落とした王者は最終戦(11月13日)で引退をかけ、再戦を要求。南アの体育委員会を通じて「10分6ラウンド3本勝負」という超異例の欧州ルールを強制し、坂口が応じない場合は王座剥奪と勧告した。

 全く慣れないルールに坂口は大苦戦。1、2R時間切れの後、3Rにブレーンバスターで先制するも4Rは時間切れ。5、6Rをベンジュラム背骨折りで連取されて王座を奪還された。じつにフルラウンド合計56分という死闘で、未知のルールで戦った坂口にとっては、敵側の策略にはまる結末となった。
 それでも「ラウンド制で調子が狂った。目つぶしもあったが泣き言になる。俺が甘かった。タイトルは持って帰れなかったが、16日の高知大会から合流する。今までとは違う俺をお見せできると思う」と潔く語った。

 ウィルキンスはその後も合計6度王座に君臨して“南アの英雄”のまま87年に引退。しかしわずか2週間程度ながら、日本が誇る“世界の荒鷲”が「南ア最強の男」だった事実は永遠に歴史に残る。(敬称略)