“親の七光”や“賢兄愚弟”は他人が想像する以上に重荷となる場合が多い。マット界でも同様のケースは多いが、最たる例が“仮面貴族”ことミル・マスカラスの弟とされるエル・サイコデリコ(シコデリコ)だ。

 さらに実弟が“飛鳥仮面”ドスカラスとあっては、周囲の期待も高くなる。悲しいかな彼にそこまでの才能はなかった。加えてマスクも兄たちの華麗なものに比べ、白地に渦巻きだけが描かれた地味なもので、蚊取り線香か時代遅れのサイケデリック印にしか見えないチープなものだった。

 マスカラスは1971年2月、日本プロレスに初来日。“悪魔仮面”として空前の大人気を呼んだ。その勢いでファンの期待を集め、サイコデリコは同年大みそかに開幕した「新春チャンピオン・シリーズ」参戦のため単身来日した。

 来日前の12月15日にジャイアント馬場がロサンゼルスに遠征すると、意気揚々と特派員のインタビューに「馬場がいかに巨人でも私のスピードにはかなわない。スタミナも私が上だ。馬場を真っ二つにする」と怪気炎を上げている。「マスカラスの弟、悪魔仮面2世が馬場の首を狙う」と大々的に報じられた。

 いざ来日すると…兄の足元に及ばないトホホな実力を露呈してしまう。開幕戦の星野勘太郎戦は動きも悪くスピードも欠き惨敗。アッサリ評価を下げてしまった。その後は若手との試合で前座に格下げとなった。

 何とかグレート小鹿、上田馬之助の実力派と試合が組まれたがいずれも完敗。最終戦(2月2日葛飾)ではようやくトップ陣の大木金太郎とのシングルが実現したが、足元にも及ばなかった。馬場を真っ二つにするどころの話ではなかった。

 しかも予想外の悲劇がサイコデリコを襲う。同じくメキシコから来日していたルイス・フェルナンデスが最終戦の前日、愛知・西尾大会前に病院に運ばれ、心臓発作のため急死したのだ。さすがに奮起したのか、この日は永源遥に勝っている。

 日本での体たらくぶりに兄たちも激怒したというが、ここまで散々な目に遭った上に叱られるなんて、たまったものではない。

 人生の中でも、日本は最も思い出したくない国となっただろう。愚弟も覆面はつらいよ…。