05年ハッスル和泉元彌との迷勝負 その舞台裏お話しします!

2021年10月16日 14時00分

元彌(上)は「空中元彌チョップ」でケンゾーを葬った(東スポWeb)
元彌(上)は「空中元彌チョップ」でケンゾーを葬った(東スポWeb)

【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」7】 皆さんは覚えているだろうか。2000年代に爆発的な話題を呼び、いまや伝説となったプロレスイベント「ハッスル」のことを。米WWEで活躍したKENSO(ケンゾー=47)&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」第7回では、ついに“禁断”のハッスルが登場。05年11月3日の「ハッスル・マニア」(横浜アリーナ)で実現した狂言師・和泉元彌VSケンゾーの究極異次元マッチを振り返る。8分54秒、片エビ固めで元彌の勝利で終わった一戦に一体、何があったのか?

 鈴木家がWWEを離れ、最初に参戦したのがハッスルです。当時ハッスルはレスラー以外の人間をリングに上げることで話題を取っていました。

 ハッスルの母体は格闘技のPRIDE(ドリームステージエンターテインメント)。PRIDEは東海テレビ関係者からスタートしている団体で東海テレビ出身のケンゾーには知人も多く、ケンゾーがWWEを離れたと聞いて東海テレビの先輩がすぐに連絡をくれました。「帰国するなら、ハッスルに出ないか」

 しかしケンゾーのWWE離脱の原因は、2回の肺気胸です。医師から「レスラー継続は不可能」と宣告を受けていました。医師の宣告となれば、契約更新は不可能です。しかしケンゾーは、大学ラグビーでアキレス腱やヒザの靱帯を切っており、当時も「二度とラグビーはできない」と宣告されてなおプレーを続けて結果を出している。今回だって大丈夫。「まだやれると証明できれば戻れる。ここを離れるべきじゃない。ここが踏ん張り時だよ」

 私は帰国自体に絶対反対でした。その一方でケンゾーは帰りたくて仕方なかった。ハッスルとの契約は私を振り切る、体の良い「帰る理由」です。「とりあえず帰ってリセットしよう」

 当時子供もいなかった私たちは身軽でした。2人の意思さえ合致すればどこにでも行けます。「ダメよ、私たちの居場所はこのアメリカ。断じてここから引っ越さないから」
 結局、現地の情報が入るよう自宅はアメリカに置いたまま、時々日本で参戦するという折衷案で合意。引っ越しはせず、アメリカから日本に通うことになりました。そうして帰国して聞かされたデビュー戦の相手は、和泉元彌さん。対戦相手は伝統芸能のプリンス。

「ほんとに? どんな試合をしろっていうのよ」

 聞いた瞬間は言葉も出ませんでした。さすがに狂言師一人ではどうにもならないと、新日本プロレス時代の大先輩・AKIRA選手が和泉さんのセコンドに入ることになっていました。ところが対戦相手にはいわゆる“しばり”も多く、だいたいプロレスでどんなことができるのかすらわからない。ところが世間では話題が話題を呼び、ワイドショーや新聞などで連日取材を受ける。一方で耳をすますと、大切なプロレス界からは非難にも落胆にも似た声が聞こえてくる。

「俺たちは間違った選択をしたんじゃないか」。いら立ちと不安で爆発寸前のケンゾーがAKIRA選手に本音を吐きました。「素人が相手で良い試合ができるわけがないです。きっとしらけますよ」。やけくそになるケンゾーに、AKIRA選手は冷静でした。「ケンゾー。(アントニオ)猪木会長はホウキが相手でも良い試合をするって言ったんだよ」

 それは目からうろこの一言でした。「つらいのはすごくわかる。でも猪木会長は、俺は相手がホウキだって客を熱狂させるって」。アメリカでも大事なところで現れたのが猪木会長でしたが、ここでもAKIRA選手が口にしたのは猪木会長の伝説でした。

「これは、ケンゾーの試合。相手は関係ない。割り切るんだよ」。確かにWWEだったら、想像できます。相手がレスラーでも、ホウキでも、まるでそれを忘れるような試合を見せるのがWWEです。新日本も、WWEも体感したケンゾーです。学んだことを思い返しました。「ケンゾーはアメリカでやってきたんだから。自分の試合をすればいい」

 ケンゾーは一気に気持ちを振り切りました。しらけると思っていた試合は想像を超える盛り上がりで、翌日はスポーツ各紙の1面を独占。そして「ここ一番」に強く、世間のさまざまな予想と臆測を振り切り「できること以上」の本番に仕上げた2人。かくいう私は白塗りでしたが…。

 原動力は男の意地。試合後の和泉さんに、私は目を見張りました。汗か涙かその表情で、和泉さんも私たちと同じジレンマや煩悶と戦っていたのだと思いました。どんな評価も関係ありません。私たちは、大切なことに気づかされていました。

「ひろ、俺、やっぱまだあっちでやるわ」。しばらくして契約満了を迎えたケンゾーはメキシコの団体に入団を決めました。メキシコではプロレスは国技であり、WWEに次ぐ規模で世界中をシェアする団体です。私は快くフロリダからメキシコシティーへの引っ越しを決めました。そして「和泉元彌」という名前をその後プロレス界で聞くことはありませんでした。

 2年前。地元の式典で講演していた和泉元彌さんと再会しました。

「ひろ子さん! 県議になられていたんですね!」

 あの試合から十数年後に、まさか地元で再会するなんて想像もしていません。

「奇遇ですよ、僕は千葉県内の小中学校で、日本の文化を伝える活動をしているんです」
 和泉さんも軸足はぶれず、狂言を通して子供たちに日本人の礼儀や所作など文化を伝える活動を続けていました。

 ハッスル参戦。鈴木家にとって、それは人生の苦境に訪れたある種の「迷走」。でも乗り越えたからこそ、気づけたことがあります。

「お互い、成長し続けてますね」

 うんうん、と2人で笑いました。お互い、あの時のことは口にしませんでした。お互い必死に乗り越えた同士だからこそ、口にしない思いがあるのかもしれません。

☆いずみ・もとや 1974年6月4日生まれ。東京都出身。父のもとで狂言を学び、3歳で初舞台。映画、テレビでも人気を博し、2001年11月には石井竜也プロデュースで歌手としてもデビュー。セッチーこと母節子さんも何かとワイドショーで話題になった。02年にタレントの羽野晶紀と結婚。近年は人気お笑いコンビ「チョコレートプラネット」の長田庄平にモノマネをされ、再び脚光を浴びた。

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