国会議員・アントニオ猪木の大功績 1990年イラク人質解放で歓喜の「ダーッ!」

2021年10月03日 10時00分

猪木が解放された人質家族と歓喜の「ダー!」(90年12月5日、イラク・バグダッド市内)
猪木が解放された人質家族と歓喜の「ダー!」(90年12月5日、イラク・バグダッド市内)

【プロレス蔵出し写真館】アントニオ猪木が自身のユーチューブチャンネルで愛弟子の藤原喜明、長州力、藤波辰爾と対談する様子を公開した。長州とは1990年のイラクでの人質解放の話題になり、猪木は「心の中にある宝」と振り返った。

 今から30年前の90年(平成2年)12月5日、人質解放の報告を受けた猪木は、解放祝賀パーティーが行われたイラク・バグダッド市内のマンスールメリア・ホテルで人質家族と喜びの「ダー!」で雄たけびを上げた(写真)。人質奪還に向け、いち早く行動した猪木の想いが実った瞬間だった。

 この年の8月、イラクはクウェートを侵攻。イラクのサダム・フセイン大統領は、在留外国人を自国内の軍事施設や政府施設などに監禁。人質にして「人間の盾」とした。

「スポーツ平和党」党首で参院議員だった猪木は、9月に単身イラクを訪問し、大統領の長男でイラク国内で大きな権力を持つイラク・オリンピック委員会のウダイ・フセイン委員長ら要人と会談。首都バグダッドでの「平和の祭典」開催を提唱した。

「レスラー上がりの国会議員に何ができる」「国会をほっといてスタンドプレーしやがって」など、厳しい声も流れていたが、11月21日に日本外国特派員協会で12月2、3日に行われるイベントの詳細を発表した。
 
 日本政府の協力は得られず、ユセフ・トルコ氏(新日本プロレスを旗揚げ時から支えたレフェリー)のツテでトルコ航空機をチャーターし、11月30日、猪木は人質の家族46人を率いて経由地のヨルダンのアンマン空港へ向け出発した。東スポも同行取材したのだが、万一を考え会社は「戦争保険」に加入させてくれた。

 バグダッドのナショナル・シアターで行われた「平和の祭典」初日のコンサートには河内家菊水丸、PANIC IN THE ZU、The 紋次郎sらが出演し、トリはジョニー大倉率いるザ・プリーズが務めた。長州はフィナーレでジョニー大倉を肩車するなどイベントの盛り上げに貢献。

「平和の祭典」2日目はサダム・アリーナでプロレス4試合が行われ、人質となっている在留邦人も観戦が許された。メインは長州、マサ斎藤組VS馳浩、佐々木健介組で、斎藤は引き揚げる際に人質家族に手を挙げエールを送った。

 さて、イベントが終了しても人質解放の成否は決まらなかった。猪木はイラク側との交渉を断念し、予定通り翌4日に出国するため空港に向かったのだが、まさに搭乗寸前にイラク政府の要請でバグダッドに留まった。

 そして、解放が発表されたのは5日の夕方すぎ。祝賀パーティーが行われるホテルのレストランで人質の家族は猪木の到着を待っていた。

 この時「人質家族婦人会」会長の長谷川さんに、万歳後の(とりあえず、最初に万歳をするだろうとの想定)「ダー!」をお願いした。長谷川さんは、当然といえば当然だが、「ダー!」は知らなかったので簡単に享受した。

 会場に到着した猪木は、「うれしさを表現しないのは不自然。我々は素直に喜んで帰りましょう。あとの人たちの解放は〝政治家〟の仕事」とあいさつし、万歳。

 そして、長谷川さんに合図を送り、撮影したのがこのひとコマ。当然のことながら、皆、本当にうれしそうな表情の「ダー!」だった。

 翌6日には、フセイン大統領が人質全員を含むイラクやクウェートに足止めされている日本人や全外国人を解放する方針を発表した。猪木と人質、在留邦人41人は第1便として8日に帰国の途についた。行きと違っていたのはヨルダンからの帰国便は、日本政府が手配したJALだった。

 その機内でも自然発生的に猪木にリクエストされ、シャンパンを片手に歓喜の「ダー!」。この人質解放は、間違いなく政治家・猪木の功績だったと言ってもいいだろう(敬称略)。

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