ジャンボ鶴田21回目の命日 完全復活誓う天龍が追悼メッセージ「俺の原動力だった」

2021年05月13日 11時00分

初タッグを結成した天龍(右)と鶴田(77年6月)

「うっ血性心不全」を克服して4月28日に退院したミスタープロレスこと天龍源一郎(71)が、12日の天龍プロジェクト新木場大会に来場。4月25日に再開した団体の新しいマットを踏んで完全復活を宣言した。同時に13日に21回目の命日を迎える永遠のライバルで“最強”と呼ばれた故ジャンボ鶴田さん(享年49、2000年に肝臓がんのため死去)に、改めて追悼のメッセージを送った。

 時の流れは早い。もう21年になるのか。ジャンボの葬儀(家族による密葬)が行われた日、俺は全日本プロレスを離れていたから、騒ぎにならないように同時間に世田谷の斎場の前を車で通って黙とうをささげた。まるで昨日のことのように思い出される。

 俺が大相撲からプロレスに入った時から、よきにつけあしきにつけ目標となる存在だった。ジャンボがいなければ、ここまでプロレスに深くかかわっていなかった。それだけデカい存在だった。最初に巡業バスに乗って身の置き場所がない時も「天龍選手、こっちが空いてるから座りなよ」と最初に声をかけてくれたのも彼だった。

 後に鶴龍コンビと呼ばれてタッグを組んだ時も、俺が阿修羅(原=故人)との天龍革命でガンガンやり合った時も、3冠ヘビー級をかけた試合で御社(東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」1987、89年度)のベストバウトを取った試合も、彼がいたからこそだった。

 彼に対する「このヤロー、余裕かましやがって!」という反骨心が、天龍源一郎の原動力になった。それはジャンボが亡くなってからもそうだ。いつも心に彼がいて、闘争心に火をつけてくれた。彼がいなければ、俺はプロレス界からとっくに身を引いていたはずだ。改めて今、そう思う。

 くしくもきょう、退院して初めて会場を訪れた。入院中に(娘の嶋田紋奈)代表が新しい黄色いマットを用意してくれた。若い選手の顔ぶれを見ると、やはり心が躍る。あのジャンボも最後まで壮絶に肝臓の病と闘った。俺も負けていられるかと気持ちが引き締まった。

 実は緊急入院する前には、シャワーを浴びて体を洗い終わるまで1時間もかかってしまい「しんどいな」という自覚症状があった。病院に行き「即入院」との診断を受けてから最初の2週間は信じられない気持ちだったが、全身の臓器に血液を送る心臓の機能が低下していたようだ。今は何の異常もない。早期発見でよかったと思う。

 そんな俺の現状を彼は温かく見てくれているだろう。今、会ったら「よっ源ちゃん、元気? プロレスで金は残せた?」って無邪気に聞いてくるんじゃないか。俺自身、71歳まで生きながらえるとは思わなかった。今は毎日、3食を食べてテレビを見たりして自宅療養を続けている。月2回のペースで団体の試合が決まったから、新たな生きがいができた。今日が本当の意味で「リスタート」になる。ジャンボ、天国から俺のこれからの生きざまを見守ってくれ。

【今後5大会すべて来場】天龍は有観客で行われたこの日の再開第2弾興行で、大会配信の解説を務め、退院後初めて公の場に姿を見せた。メイン終了後は恒例の「エイ、エイ、オー!」で締めくくり「退院したばかりで筋肉が落ちてしまっているけど、必ず復活してみせます!」とファンに約束した。
 さらには「今日は気持ちがすっきりした。プロレスはいい娯楽です。もう怖いものはないという感じ。全部さらけ出しました。俺の中では大成功。今日来てくれたお客さんに勇気をもらいました」と笑顔を見せた。
 同団体は新木場で25日、6月12日、同23日、7月7日、同28日に大会が決まっており、いずれも天龍は来場する予定だ。

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