“伝説レスラー”ハーリー・レイスさん豪快秘話 坂口氏「動きが多彩。不世出の名レスラー」

2019年08月03日 16時30分

UNヘビー級王座戦で熱戦を演じた坂口(右)とレイス(1972年3月13日)

“美獣”の異名で全日本プロレスやWWF(現WWE)などで活躍し、肺がんによる合併症で死去していたことが1日(日本時間2日)に発表されたハーリー・レイスさん(享年76)の訃報に、日本マット界からも悲しみの声が上がった。“世界の荒鷲”こと新日本プロレスの坂口征二相談役(77)は日本プロレス時代からの浅からぬ因縁を告白。大日本プロレス会長で現役最年長レスラーのグレート小鹿(77)も米国時代の逸話などを披露し、現代プロレスの流れを創った故人をしのんだ。

 レイスさん死去の報を受け、全世界のプロレス関係者、ファンは悲しみに暮れた。ライバル関係にあった“狂乱の貴公子”ことリック・フレアー(70)は公式ツイッターで「今日、我々はワンアンドオンリーの世界王者を失った。ハーリー・レイスがいなければ、リック・フレアーもいなかった。安らかに眠れ、わが友よ」などとつづり、偉大な先輩をしのんだ。

 日本とも縁が深いレイスさんだっただけに、同世代の日本人レスラーたちも哀悼の意を示した。中でも真っ先に反応したのは坂口氏。故人が1972年3月に最後の日本プロレス(翌年4月崩壊)来日を果たした際、団体の看板だったUNヘビー級王者として初挑戦を受けた(72年3月13日仙台)。「年齢もほとんど同じだったからね。試合運びがうまい選手だった。大きな動きから細かい動きまでが実に多彩でね…」と今でも強く印象に残っているという。

 3本勝負で1本目は首固めでレイスさんが取り、2本目は両者リングアウト。決勝ラウンドは坂口氏が取り、同年2月に米国で初戴冠した王座の初防衛に成功。この時、レイスさん29歳、坂口氏30歳の春だった。故人にとっては最後の日プロ参戦となり、翌年5月にはNWA世界ヘビー級王座を初戴冠。坂口氏とのUN戦が出世試合になった形だ。

 73年3月、坂口氏はアントニオ猪木率いる新日本に合流。レイスさんは同年2月、NWAと提携していた全日本に初参戦した。両雄の運命は激しい時代の波に動かされ、再びリング上で戦うことはなかった。「その後もアメリカに遠征した際、会場で顔を合わせると、いつも『元気か』とニコニコ笑っていた。不世出の名レスラーだと思います。安らかにお眠りください」と合掌した。

 67年から4年間、米国で活躍していた小鹿にとってもレイスさんとの思い出は尽きない。「リングの中では最高のレスラー。リングを降りると悪ガキ。そんな選手だった」という。

 若いころからヘビースモーカー。向こう気が強くてケンカっ早い。ボートに乗ってスピードを出し過ぎて事故を起こす。小鹿とはギャラの件でもめ、口論にもなった。だがレイスさんの持つ情報は膨大で、小鹿が「今度この地域の大会に出るんだけど」って相談すると「その団体はこういう選手がいて…。こいつを頼れば…」って詳しく選手のことや団体の事情を教えてくれた。

 もちろん、レスラーとしては尊敬することばかりだった。ブレーンバスターを長滞空式にして、観客に「1、2、3…」と数えさせたり、コーナーからのダイビングヘッドバットをしたのも「彼が最初なんじゃないか」(小鹿)。テクニックもありつつ観客に分かりやすい大技をリングに持ち込み「観客の目を常に意識した試合をしていた。理屈に合った攻め方をしていて。強さの中にテクニックがあったな」と振り返る。

 プロレスを愛し、新たなプロレスを常に模索した希代のメインイベンター。レイスさんが日本に残した足跡は、今も輝かしい光を放っている。

☆ハーリー・レイス 1943年4月11日、米国ミズーリ州出身。15歳でプロレスデビューを果たし、1968年2月、日本プロレスに初来日。73年に米国でNWA世界ヘビー級王座を獲得し、「ミスタープロレス」と呼ばれ全日本プロレスに参戦した。1995年に引退。全盛時は185センチ、122キロを誇った。