【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(20)】1988年、星野監督就任2年目のドラゴンズは6年ぶりにセ・リーグを制覇した。2位・巨人に12ゲーム差をつけての独走V。西武から移籍してきた小野和幸が18勝4敗と勝ちまくり、守護神・郭源治はリーグ最多の37セーブを挙げてMVPにも輝いた。落合さんを中心とした打線の破壊力は抜群。当然ながら54年以来2度目の日本一への期待は高まっていた。

 日本シリーズの相手はパ・リーグ4連覇の西武に決まった。百戦錬磨の森監督のもと石毛、秋山、伊東、辻(現西武監督)ら野球を知り尽くした猛者たちがそろっている。そして何より4番・清原が圧倒的な存在感を放っていた。清原はこの年が高卒3年目のシーズンだったが、31本塁打を放つなどすでに落合さんと並ぶプロ野球界を代表するスラッガーとなっていた。

 当然ながらマスコミは中日の4番・落合さんと西武の4番・清原を比較する。3冠王に3度輝いた落合さんがセ・リーグを代表する4番打者なら高卒1年目から31本塁打を放った清原はパ・リーグ最強の4番だ。ところがこのシリーズは4番打者の明暗がはっきりと分かれてしまった。ナゴヤ球場で行われた日本シリーズ第1戦、中日ベンチは清原の放った強烈な一撃に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。

 2回、先頭打者として打席に入った清原は中日先発・小野の内角スライダーをフルスイング。ものすごい衝撃音とともに高々と舞い上がった打球はレフトスタンドを越えてはるか場外に消えていった。

 俺は一塁側ベンチでこの打球を見ていたが、正直、声を失った。他の中日ナインも皆同じ。いやあ度肝を抜かれたね。ナゴヤ球場を本拠地にしている俺たちだけどそれまであんな打球を見たことがなかった。ナゴヤ球場のレフトスタンド後方には新幹線の高架があるが、新幹線にぶち当たるんじゃないかと思うぐらい飛んでいた。実際には高架の手前に落ちたらしいが、それでも推定145メートルの飛距離だったという。パワーのある外国人選手でもあんなホームランは打てない。それほどすごい一発だった。

 清原の特大弾で勢いに乗ったライオンズを止められず、ドラゴンズはこのシリーズ1勝4敗で敗れた。清原はこのシリーズで3本のホームランを放つ活躍で優秀選手となった。一方、落合さんは西武投手陣に抑えられ本塁打も打点も「0」。4番打者の差が出たとも言えるけど、何より第1戦の清原の特大弾が効いたと思う。それほどあの一発が中日ベンチに与えた衝撃は大きかった。

 残念ながら日本一になることはできなかったけど星野監督になってから2位、1位と着実にチーム力は上がっていた。「来年こそは日本一に」。決意も新たに秋季キャンプに臨んだ俺だが、そこでまさかの事態が待っていた。「ユニホームを脱いでコーチをやってくれ」。突然、現役引退を勧告されたのだ。