新庄は新庄のまま新庄監督になった――。日本ハムの新指揮官に就任した新庄剛志監督(49)はストーブリーグの話題を独占。ド派手な服装や言動ばかりがクローズアップされがちだが、ビッグボスの野球観や野球に対する姿勢を高く評価する声は球界内に根強い。1991年から92年まで阪神の打撃コーチを務めた佐々木恭介氏(71=現大和高田クラブ監督)もその一人。監督、コーチとして福留孝介、中村紀洋氏(元近鉄ほか)らを世に送り出した同氏が見た新庄剛志の実像とは――。

 新庄の第一印象は「九州から来た純朴な兄ちゃん」だったと語る佐々木氏。だが1992年、まだサナギだった背番号63は突如、極彩色の蝶へと姿を変えた。

 それまで主に遊撃手として起用されてきた高卒3年目、20歳の新庄を当時の中村勝広監督ら阪神首脳陣はシーズン途中から中堅へコンバートすることを決断。

「あの年は遊撃に新人として久慈(照嘉=現阪神内野守備兼バント担当コーチ)が入ってきてね。これはもう久慈と勝負しても守備のうまさでは絶対にかなわんとなって中堅へ移したわけや。肩も強いし足も速い。アイツをセンターへ入れたらセンターラインも締まるんちゃうかと」(佐々木氏)

 その年の新人王に輝いた久慈に〝押し出される〟形でのコンバートとなったが、このもくろみは見事に成功。以降、甲子園のセンターは虎のプリンスの〝聖域〟となった。

 佐々木氏は現役当時の新庄を「変わっていた。人間が変わっていたというのではなく、言うことすること、他の選手と考え方が違っていた」とエピソードを交えながら振り返る。

 92年当時「ある対戦投手のクセを見抜けていた試合があったんです。こう動けばストレート、こんなしぐさをすればフォークが来るぞといったふうにね。新庄にもそう説明して打席へ送り出したんですが、初球と2球目のストレートをあっさり見逃してね。『こいつ全然分かってないやん』と思っていたら、3球目のワンバンするんちゃうかというフォークを片手一本で拾ってサヨナラホームランを打った。で、生還してきた新庄に『なんでお前真っすぐ打たんかったんや』と聞いたら『僕はフォークの方が打ちやすい。だからフォークを待っていました』と返された(笑い)。『そうか~』としか言えませんでしたよい」と苦笑交じりに振り返る佐々木氏。

「確かに変なヤツではあるんですがね。それでも彼の中ではブレない何かが常にあった。新庄はかわいいヤツでね。亀山なんかはしょっちゅう説教した記憶があるんですが、新庄のことを叱ったことはないと思う。個人的には手のかからない子でした」

 今秋から日本ハムの新指揮官に就任した新庄監督は、ド派手な服装や奇抜な言動ばかりが報道でクローズアップされがちだが「よく聞けば言ってることはまともなことばかり。外野守備のコーチングなんかは特にね。チームにも新しい風を吹かせてくれると思う。よく本人も言っているように、アイツは少年野球でも高校野球でもプロ野球でもメジャーでも変わらず2割5分を打ち続けてきた男。九州からやってきた純朴な兄ちゃんがそのまま大きくなったようなもんです。監督としてどんな姿を見せてくれるか」。

 変人だけど変じゃない。キテレツに見えるけど、しごく真っ当。ビッグボスの手腕に期待を寄せているのは佐々木氏も同じだ。