【久保康生 魔改造の手腕(13)】1979年、チームが日本シリーズを戦う間にアメリカ留学を経験させてもらいました。帰国して藤井寺で行われていた秋季練習に合流しました。

 すると、西本幸雄監督が野口二郎二軍投手コーチに「二郎ちゃん、これ久保なあ、なんか変な投げ方になってないか」と質問されました。

 すると、野口さんは「いやいや。これ、すごくいいですから。これで大丈夫ですよ。今はこれでいかしているから」と返答。西本監督は「ホンマかいな…」みたいなリアクションでしたが、これは野口さんが防波堤になってくれたわけです。

 野口さんは私がアメリカで見て感じて、試している投げ方を継続させてくれたんです。その結果、80年に花開くわけですから正解だったわけです。

 経験させて泳がせて、どういうところから失敗がくるかと常に観察しておくことがコーチには必要です。

 絶対に大丈夫やから辛抱してやっとけ。結果は出てないけど、これを崩すなよ。辛抱して突き詰めてみろ。君にはそれが合っているからな。そう言って見守らないと、選手は技術的に迷子になってしまいます。

 コーチは常に目利きが大切です。それが大事。若い選手をまず観察する。いきなりは教えません。

 先週はこうだった。今はどういう方向に進もうとしてる。本当にその方向に思い切って進ませるか、いや立ち止まってやっぱり控えさせるのか。また、違う方向へ呼び込んでいくのかなど。

 私の経験からいくと、ユニホームを着ながらの35歳から40歳までの期間というのが、本当に重要だと思うんです。プレーヤーであり、またコーチングという部分でも視野が広がっている時期ですから。

 経営者として全体を見渡せるような感覚を培う時期だと思うんですね。自分だけではなく、試合展開やチーム編成を理解しながら、自分の役割を考える力。組織の一員として全体のマネジメントにも目を配れることで、その後の人生が大きく変わってくると思います。

 こういう感覚を35歳以降で現役をしながら学べたなら、いい指導者になっていけるのではないでしょうか。各選手たちのいいクセや悪いクセ。この個性はこう生かせばいいんだという目利きなど。選手晩年というのは、いろんなことが見えて実はものすごく大事な時間帯なんです。

 実際、コーチになれば選手の生活を含めて取り組む姿勢など、すべてに目配りが必要になります。

 調子が悪いけどどうした?と聞いた時に技術的なことだけに一生懸命になっていたら、実はプライベートの問題を抱えていたということもあり得ます。

 家庭がうまくいっていない、金銭的なことで困っている、チームメートとの仲がうまくいってないなど、いろんなところに原因がある可能性もあるんです。

 チーム内での人付き合いにしても、言いにくいアドバイスというのもあります。どの世界でも人付き合いは付いて回りますが、自分の体のために断って早く帰る勇気であったりね。

 お互いにプロですから。本当はもっとシビアにしなきゃいけない。はっきりしなきゃいけないこともあります。しっかり足元を見ないとね。

 少し話はそれましたが、私は若かりし日にいい指導者に恵まれました。選手としては40歳のシーズンまで野球をやらせてもらい、様々な世界を見させてもらいました。

 そこから学んだことは、先人たちの言うことを聞いても損はないということです。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。