大阪猛虎「首将」が脱帽した酒仙投手と牛若丸の凄さ

2021年01月11日 10時00分

松木謙治郎(1979年の阪神―巨人OB戦)
松木謙治郎(1979年の阪神―巨人OB戦)

【越智正典 ネット裏】大阪タイガースの打倒巨人の大型1番打者、ノッシノッシと打席に向かって行った松木謙治郎の歩く姿は勇ましかった…。ずっと後のことになるが、昔、私は阪神電車を甲子園駅で降りると土堤の茶屋「シミズ」で店を切り盛りしている鼎(かなえ)栄子さんの「関東だき」(おでん)をおいしく頂いてひと休み。店に飾ってあるタイガース結団時のポスターを眺めるのが、たのしみだった。松木さんの肩書きが「首将」(主将)。時代がよくあらわれている。栄子さんは「こどものとき、藤村(富美男)さんにおんぶしてもらいました」。こう話し出すと笑顔がまたやさしくなる。

「西沢(道夫、中日)さんにはよく遊んでもらいました。一緒にナワとびをして頂きました」

 そういえば、西沢の監督就任(昭和39年なかば)第一声は「選手のご両親を思い浮かべてノックを打ちます」(52年殿堂入り)。

 栄子さんは甲子園球場へ行くお客さんを活写していた。

「ふだんは店の前をぶらりぶらりと歩いて甲子園球場へ行きます。巨人戦だと大股でどんどん進んで行きます」

 松木は敦賀商、明治大、名古屋鉄道局、大連実業、11年タイガース入団。12年春首位打者、本塁打王。16年に退いて鉄工所を経営していたが、24年秋、阪神の主力選手が毎日に引き抜かれると、チーム再建のために乞われて監督に。選手を励ますためにカネを使い、鉄工所を潰した。他球団のファンもそのような松木を尊敬した(53年殿堂入り)。

 松木にはオハコがあった。赤坂のお気に入りの店で鯉のカブト煮でイッパイ…で始まる。

「西村幸生は凄かった。ピンチに一塁から激励に行くと“おまかせ下さい。これからがホントの仕事です”」「“酒仙投手”といわれましたが遠征の宿では決して呑まなかったなあー。宿の近くの屋台でやってましたよ」

(宇治)山田中学、愛知電鉄、関西大学、12年阪神入団、秋、阪神は巨人に7戦全勝、西村が5勝を右腕から。王座決定戦では宇治山田の少年野球の後輩、明倫小学校の巨人沢村栄治に投げ勝って3戦全勝(西村は厚生小学校)。

 翌13年もタイガース連続優勝の立役者となったが、14年末召集令状、戦死された。長女、津野田幸子さんが先年野球殿堂博物館の、少年少女の夏休みの自由研究の審査員を務められた。関係者は同館筆谷敏正にも敬意を表した。52年殿堂入り。

「タイガースが強かったのは、風呂からあがるときがよそとちがっていましたな。次に入ってくるのがぬる好きなら水を入れておく。熱好きなら熱くしておく」

 松木さんの三ツ目のオハコは「ショート吉田義男は宿に戻って来てもずうーとグラブをはめていました。外すのは食事のときだけです。彼ほど努力した選手はおりません」。

「牛若丸」吉田は60年監督としてセで優勝。日本選手権で4勝2敗で西武を破って日本一に。11月2日、西武の本拠地西武球場でチャンピオンフラッグを授与されると、西武ベンチに向かって深々と一礼していた(平成4年殿堂入り)。

=敬称略=

関連タグ: