【高橋雅裕 連載コラム】巨人だけはプライドのすごく高い人が多い

2020年07月15日 11時00分

93年、チーム名もユニホームも一新した(左はエースの野村投手)

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(6)】1993年、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズにチーム名が変更。ユニホーム、キャラクター、音楽などが一新され、新しい空気が流れました。僕はもうレギュラーじゃないし、代打も増えて外野も守り、これからどれだけ長く野球をやれるかを考えるようになっていました。

 石井琢朗、谷繁元信、進藤達哉らがチームの中心となり、その年は巨人に勝ち越しながらもチームは5位に終わりました。そしてオフ、またもネガティブなことが起きたんです。長年チームを引っ張り、11年連続100安打中だった高木豊さんをはじめ、屋鋪要さん、山崎賢一さん、松本豊さん、大門和彦さん、市川和正さんらベテランを大量解雇。これが巨人からFAで駒田徳広さんを獲得するための資金ということだったんです。

 僕はギリセーフだった(笑い)。後から考えたら僕も成績良くないし、綱渡りでしたねえ。でもこんな辞めさせ方はない。球団の中の人たちも功労者に対してこれはないよ、と言ってましたね。扱いがおかしい。このチームって生え抜きが誰も残らなくなるんですよ。谷繁、進藤、石井琢、佐々木主浩とか、中心となっている選手はこの先もみんな辞めていくことになる…。残ったのは三浦大輔くらいじゃないですか。

 チーム若返りで球団も致し方なかったかもしれないですけど、断腸の思いがあるなら解雇された人たちから「ゴミをゴミ箱に捨てるように…」とか、あんなコメントは出ないですよ。みんな絶対いいこと言ってないですから。それ考えたら球団は商売しか考えていないし、出すべき人じゃない人たちを出した。選手会がまだ弱かったこともあります。屋鋪さんだって今は「元横浜」じゃなくて「元巨人」の屋鋪さんになってますよ。

 この人たちがいなくなって戦力的な部分はどうなるのか…。巨人からFAで駒田さんがやってきました。巨人時代の成績はすごいからプラスアルファはあるだろうと。でも、僕は駒田さんと距離を置いていたんです。他球団から選手が入ってくると、刺激を受けることもあれば勉強になることもある。87年に西武から片平晋作さんが移籍して来られた時にはいろんな話を聞かされました。やはり強いところは違うな、と…。強いチームのやり方、方針はこういう時にこうなるんだ、というのがあるんです。でも…巨人だけは、プライドのすごく高い人が多いと感じますよね(笑い)。

 目線を下げられないような話し方をしてくるんですよ。90年に監督で来られた須藤豊さん、駒田さん、それに中畑清さん、松本匡史さん、同級生の川相昌弘にしても「俺はジャイアンツ!」っていうのを感じるんです。こちらの劣等感かもしれないし、巨人はずっとチームとして敵対心を持っていましたからね。

 その駒田さんには少し思うところが2つ、3つあって…。

 

☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。