衣笠祥雄氏の突然の訃報を受け、球界には大きな波紋が広がった。それは本紙執筆陣も同じで、衣笠氏の思い出を語り、現役時代を知る広島担当記者も当時をしのんだ。
衣笠祥雄さんが死去したとの一報を聞き、ただただ驚きました。思い起こせば、私と衣笠さんとの出会いは1979年のこと。そう、カープが2回目のセ・リーグ制覇、初めて日本一になった年です。記者になって2年目でした。右も左もわからない記者に対し、かたや山本浩二さんと肩を並べるカープの主軸。まるで雲の上の存在でした。そんな衣笠さんに勇気を振り絞ってインタビューしても高度な技術論や精神論と、若手記者にとっては“ちんぷんかんぷん”でした。
やはり衣笠さんといえば連続試合出場記録が真っ先に出てきます。何回か記録の途切れるピンチを迎えましたが、一番の思い出は左肩甲骨に死球を受けた時です。右肩は上がらず、翌日の練習にも出ずにトレーナー室にこもりっ放し。「試合に出られないだろう。出てきても守備固めの1イニングかな」と誰しも思っていました。その守備固めにも出てこず「記録は途切れた」と思った次の瞬間、何と代打で登場。それも衣笠さんらしくフルスイングして見事な三振。そのシーンを昨日のように覚えています。
野球以外の思い出をひとつ。現役時代の一時期、某かつらメーカーとCM契約していたんですが「子供がみんなに、いろいろ言われたみたいで泣きながら、お父さんもうやめて、と言われてね…」と笑いながらCM降板の理由を聞かせてくれました。家族を大切にするという人柄を感じました。
カープのユニホームを脱いでからは、一度も現場復帰することはなかった衣笠さん。何回も監督の話が噂されましたが、本当に縁がなかったんでしょうね。記者が勝手に思い込んでいる“哲学者・衣笠”の監督姿を一度見たかったです。残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。(1979~87年広島担当・木下富雄)












