第108回全国高校野球選手権大会第13日(18日、甲子園)の準々決勝第3試合で横浜(神奈川)が花巻東(岩手)に6―0で完封勝利。18年ぶりの4強進出を決めた。

 前日17日には元監督で、歴代5位タイの甲子園通算51勝を挙げた渡辺元智氏が81歳で死去。突然の訃報に際し、天国へ特別な1勝を届けた。先発したプロ注目のエース・織田(3年)が9回123球を投げて10奪三振で完投。応援席へのあいさつを終え、整列した横浜ナインは一斉に空を見上げた。

 試合後、村田監督は自身の人生を大きく変えた恩師を思いながら「監督さん(渡辺氏)が甲子園の空から応援してくれているんだなって…。選手たちが一生懸命やってくれて、すごいうれしくて…」と大粒の涙を流した。

横浜で長年監督を務めた名将の渡辺元智氏
横浜で長年監督を務めた名将の渡辺元智氏

 渡辺氏は1968年から2015年まで同校の監督を務めた後も、教え子たちを見守り続けてきた。今大会の各試合の前夜には、先発予定の織田や小林鉄三郎(2年)に電話でアドバイスを送っていた。直接激励された小林鉄は「『一度きりの人生で、満員の甲子園で先発をできるのは数少ないこと。まずは緊張なんかしないで、全力で楽しんで頑張れ』と言っていただきました」と会話の内容を明かした。

 高齢となっても1~2週間に1度はグラウンドを訪れた。ミーティングでは愛弟子の村田監督やナインに厳しい言葉も投げかけた。しかし、選手たちによると、厳しいだけではなかったのが渡辺氏だったという。

 ある日のミーティングでは、カーブを得意球とする部員に対して「スライダーの子だね?」とあえてすっとぼけてクスッと笑わせ、小林鉄の名前・鉄三郎をわざわざ「鉄二郎」と間違えてみせる〝小ボケ〟も挟んでみせたこともあった。

 さらに、別の日には車からグラウンドに降り立った渡辺氏がトイレに直行。用を足し、いよいよミーティングかと思われたものの、渡辺氏は部員たちをかき分け、再び車に乗り込んでその場を後に…。結局、何もなく拍子抜けしたナインがズッコケたことは言うまでもない。

「そういうところがあったので、元さんには引きつけられました」。感謝の気持ちを優勝で示す。