甲子園の球速史に、新たな1ページが刻まれた。
横浜(神奈川)の最速157キロ右腕・織田翔希投手(3年)が14日、夏の甲子園2回戦の日南学園(宮崎)戦で、甲子園球場の表示では史上最速となる156キロをマークした。
登板したのは1―1の6回無死二、三塁。横浜は前の打席までに2安打を放っていた田中皐晴外野手を申告敬遠し、無死満塁とした。1点も与えられない場面で、エースにマウンドを託した。
織田は4番・谷口銀次郎投手に対し、カウント1―1から投じた3球目で156キロを計測。スコアボードに数字が表示されると、甲子園が大きくどよめいた。続く155キロで谷口を見逃し三振。5番・下川源次内野手も二ゴロ併殺に仕留め、絶体絶命のピンチを無失点で切り抜けた。
直後の7回に横浜打線が4点を勝ち越し、9回にも満塁本塁打などで5点を追加。10―1で日南学園を破り、2年連続の16強入りを決めた。156キロの剛速球は記録を塗り替えただけでなく、試合の流れも一変させる一球となった。
19年ぶりに破られた「甲子園最速」
甲子園球場の表示で、それまでの最速記録は155キロだった。
最初に大台へ到達したのは、2007年夏の仙台育英・佐藤由規(現ヤクルト二軍投手兼育成担当コーチ)。智弁学園との2回戦、4回に外角へ投じた直球が155キロを計測した。初戦では智弁和歌山から毎回の17三振を奪って完投。高校球界を代表する剛腕として注目を集めたが、155キロを出した試合は2―5で敗れた。
6年後の2013年夏には、済美の2年生エース・安楽智大(元楽天、2026年現在はメキシコリーグでプレー)が三重との初戦で155キロを記録した。初回から150キロ台を連発し、当時の史上最速タイに到達。11安打7失点と苦しみながらも完投し、チームを9―7の勝利に導いた。
3人目は健大高崎・石垣元気(ロッテ)。2025年春のセンバツで155キロを記録すると、同年夏の京都国際戦でも7回から救援登板し、再び155キロをたたき出した。春夏の甲子園で大台に到達した初めての投手となった。
そして2026年夏、織田が佐藤の記録から19年ぶりに「1キロの壁」を破った。
夏の甲子園で155キロ以上を記録した投手
| 球速 | 年 | 投手 | 高校 | 学年 | 記録した試合 |
|---|---|---|---|---|---|
| 156キロ | 2026年 | 織田翔希 | 横浜 | 3年 | 日南学園戦 |
| 155キロ | 2007年 | 佐藤由規 | 仙台育英 | 3年 | 智弁学園戦 |
| 155キロ | 2013年 | 安楽智大 | 済美 | 2年 | 三重戦 |
| 155キロ | 2025年 | 石垣元気 | 健大高崎 | 3年 | 京都国際戦 |
※甲子園球場の球速表示を基準。2026年8月14日現在。
日南学園には「158キロ」の記憶
今回の相手が日南学園だったことにも、不思議な巡り合わせがある。
同校の寺原隼人は2001年夏、玉野光南戦で甲子園球場の表示では当時最速となる154キロを記録した。一方、ネット裏にいたスカウトのスピードガンでは158キロを計測したとされ、長く「甲子園最速投手」として語られてきた。
2005年夏には大阪桐蔭・辻内崇伸(元巨人)も、スカウト計測で156キロを記録している。ただし、球場表示では寺原が154キロ、辻内が152キロだった。このため歴代記録を比較する際には、球場表示とスカウト計測を分けて扱う必要がある。
織田は今夏の神奈川大会で自己最速の157キロを計測。甲子園初戦の沖縄尚学戦でも最速154キロを投げ、8回⅔を6安打2失点、12奪三振と力投していた。
地方大会で出した自己最速には1キロ届かなかったものの、全国の大舞台で156キロを表示させた価値は小さくない。しかも、球速を競うだけではなく、無死満塁という試合最大のピンチを三振と併殺で封じた。
速さと勝負強さを同時に示した横浜のエース。高校野球の球速史を塗り替えた右腕が、残る大会でさらに記録を伸ばすのか。次戦以降の登板が注目される。















