新庄剛志のプロフィル、現役時代の成績は? 日本人MLBプレーヤー初の快挙とは
1972年1月28日、長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区育ち。西日本短大附から1989年ドラフト5位で阪神入団。一軍初出場は1991年9月10日巨人戦。2000年まで阪神でプレーし、同年オフにフリー・エージェント(FA)権を行使してニューヨークメッツへ移籍。翌2001年オフに、ショーン・エステス投手との2対1トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。2002年、日本人選手初のワールドシリーズ出場を果たす。2003年、メッツへ復帰。2004年、日本ハムへ移籍し4年ぶりのNPB復帰となった。2006年開幕直後に同年シーズン限りでの引退を表明。同年、自身初のリーグ優勝を果たすと、日本シリーズで中日を下して日本一を達成し、ユニホームを脱いだ。プロ16年で日米通算1714試合、1524安打、225本塁打、816打点。
阪神時代の野村克也監督との師弟関係は語り草 1999年には二刀流に挑戦した新庄
新庄監督と20年2月11日に逝去した野村さんとの出会いは1998年、阪神時代のプロ8年目のオフ。翌99年から3シーズン、監督と選手として強固な師弟関係を築き、当時の球界に旋風を巻き起こした。
野村さんの就任直後の98年秋季キャンプでは、外野が本職の新庄監督の強肩と抜群の身体能力にほれ込み、投手挑戦を指示。翌年春にはオープン戦にも登板した。今やエンゼルス・大谷翔平投手(27)の活躍ですっかり定着した感のある二刀流を、大谷に先駆けて挑戦するなど常に球界の常識を疑い〝新しいスタンダード〟を求める現在の新庄監督にとっても、自らの現役時に強い影響を受けた監督であることは間違いない。
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敬遠球を打ってサヨナラ!新庄伝説に甲子園の虎党は騒然!
1999年6月12日、甲子園で開催された阪神─巨人戦の延長12回一死、一、三塁。阪神・新庄は巨人・槙原が投じた外角高めの敬遠球をスイング。三遊間を破るサヨナラ打を放つと、甲子園のスタンドは騒然となった。
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新庄剛志が「宇宙人」と呼ばれるワケは… 引退を2度も撤回していた!
新庄はチームがV争いを演じた92年にブレーク。その後はメジャー、日本ハムなどで活躍し、数々のパフォーマンスでも話題を呼んで2006年に惜しまれつつ引退した。近年では最も記憶に残る名選手…。しかし、阪神での95年は「消したいぐらいの1年」だったに違いない。出場はブレーク前を除いて自己ワーストの87試合。打率2割2分5厘、7本塁打、37打点と散々で、中村監督の休養を受け、シーズン後半から指揮を執った「鬼平」こと、藤田監督ともソリが合わなかった。
そうして迎えた問題の11月19日、新庄は球団との2回目の契約交渉後の記者会見で突然「野球に対するセンスがないから辞めたい」と現役引退を宣言した。
阪神・新庄 宇宙人の原点は95年の「2日で引退撤回」&縁もゆかりもない「横浜移籍志願」
天井から登場、グラウンドでバイク運転、球宴ホームスチール…日本ハム時代に北の大地を沸かせた「新庄劇場」
とにかくファンを喜ばせるサプライズが大好きな新庄。日本ハム監督就任で古巣タイガースも注目している。
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タレントの大河内志保と結婚も2007年に離婚
モデルの大河内志保(49)が19日、朝の情報番組「ノンストップ!」(フジテレビ系)に出演。プロ野球・阪神、日本ハムや米大リーグで活躍した新庄剛志氏(48)との離婚について、真相を語った。
大河内は「別れることが彼の幸せなら、望む通りにやってあげるべきかなと思った。彼は日本の財産。自分だけのものだと所有する気持ちでいたらダメ、大勢の方に愛されて私ひとりのものではないという自覚が、交際中からあったので。付き合い始める時からの覚悟が、別れる時まであり、信念が一緒だった」と話し、離婚はあくまで新庄の気持ちを尊重したものだと説明した。
現役引退後はバリ島へ移住! 身内に大金を横領された?
新庄氏といえば、2006年に現役を引退し、現在はインドネシア・バリ島に居住。自由気ままな生活を送りながら、目指しているのはモトクロスのプロだという。ワイドショー関係者の話。
「趣味が高じて自宅の敷地内に約2000万円をかけて、モトクロスのコースを造ったそうです。モトクロス用のスーツ一式も揃えて本格的ですよ。もっぱら、仲良しの友人らと毎日練習しているそうです」
バリ島は日本よりも物価が安いとはいえ、趣味に2000万円もかけるとは、何とも新庄氏らしい。それにしても、全く仕事らしい仕事をしていない同氏の蓄えは、どれほどあるのだろうか。
「以前、バラエティー番組に出演した際、野球で3億円、CMなどで7億円稼いでいたことを明らかにしました。合計10億円が7年間続いたから、ざっくり70億円になります。一説には投資などにも成功したともいわれ、資産は優に100億円を超えているんじゃないかという噂もある。2000万円ぐらい痛くもかゆくもないでしょう」(テレビ関係者)
それだけではない。もともとバリ島に移り住んだのも、エアブラシという手法を使った絵画アートの師匠がいるからだが、新庄氏は絵画の才能にも恵まれており、売りに出すと数十万から数百万円の値段がつくらしい。
「一部で伯父夫婦に4億円も横領されたと報じられたこともありましたが、それが事実だとしても富裕層に変わりはないでしょうね」とは前出のテレビ関係者。
48歳で突然の現役復帰宣言! トライアウト挑戦の結果は…
鮮やかな一打が飛び出した。プロ野球12球団合同トライアウトが7日、一般非公開で行われ、注目の新庄剛志氏(48)も参加。シート打撃形式のラスト第4打席で〝適時打〟を放った。
日本ハム時代のユニホームに背番号「1」、そして両手首には赤いリストバンド。お馴染みの姿で躍動した。カウント1―1からスタートするシート打撃形式の第4打席では無死一、二塁の場面で日隈ジュリアス投手(23=ヤクルト)と対戦。現役当時と変わらぬ独特の構えから外角チェンジアップを鮮やかにとらえ、打球を左前へ運ぶと走者を1人生還させた。
左前適時打を放った新庄は一塁塁上でガッツポーズを作り、白い歯をのぞかせながら満面の笑み。バックネット裏に陣取った12球団のスカウト陣の視線もくぎ付けにした。
ここまで二ゴロ、四球、二ゴロと結果を出せていなかったが、第4打席でしっかりとアピールに成功した。






















