〝100年に一人の逸材〟に激烈エール――。新日本プロレスの来年1・4東京ドーム大会で、棚橋弘至(49=現新日本プロレス社長)が現役引退(対オカダ・カズチカ戦)する。立命館大学時代に所属していたプロレス同好会の先輩でお笑い芸人のレイザーラモンRGが〝逸材〟の学生時代を振り返った。女性の口説き文句やマジメな人柄まで、新日本エースの原点を明かした。

取材に応じたレイザーラモンRG
取材に応じたレイザーラモンRG

【RGが語る「棚橋弘至」前編】名門大学で1学年上の先輩となるRGは棚橋が入学し、プロレス同好会に入会した際に初対面。印象深い〝出会い〟だったという。「彼は『プロレスラーになりたい』って入ってきて。そんな人はいないので、ボケているのかなって思ってましたね。体も仕上がっていて、腹筋バキバキ。トレーニングをめちゃめちゃしていて、マジで〝逸材〟だと思いましたね」と振り返る。

 同好会は一個上の先輩が後輩にリングネームを付けるのが慣例。「チン先真性」名で活動していたRGらは、最初「猛牛」と呼ばれた天山広吉のファンだった棚橋に美容家のメイ牛山さんそのまま「メイ・ウシヤマ」と名付けた。だが、下ネタエッセンスが足りなかったのと馳浩さん(現石川県知事)も好きだったため、すぐに「ハメ・ヒロシ」と改名させた。また棚橋の大学時代のリングネームとして知られている「ターナー・ザ・インサート」は「棚橋自身がつけた」という。

 大学時代の棚橋はどんな人間だったのか。「私服もオシャレでしたね。一緒に古着を買いに行ったこともありますね。コスチュームもですけど、普段からも派手な色が好きなので、見た目はチャラ男。でも、中身はマジメでしたよ。プロになってからも正統派ですけど。モテていたか? そうですね。かなり鍛えていたので、コンパでは女性に筋肉を触らせていて『俺と付き合えば、腕枕してあげるよ』って言ってましたね」と明かす。

大学時代の棚橋弘至がデザインしたTシャツをアピールするRG
大学時代の棚橋弘至がデザインしたTシャツをアピールするRG

 同好会の活動もRGらは笑いを取りにいくタイプだったが、棚橋は技を駆使し、マジメに戦うスタイル。大学関係者を通じて入手した米WWF(現WWE)など各団体のビデオを見て〝研究〟していたという。「当時のプロレス界は(新日本の)三銃士(蝶野正洋、武藤敬司、橋本真也)とか(全日本の)四天王(三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明)の時代でかなり盛り上がっていて、学生プロレスも盛況で、棚橋も注目されていました。棚橋の得意技? みちのくドライバーだったかな。同志社大との対抗戦では(レイザーラモン)HG(リングネーム・ギブアップ住谷)と対戦してましたね」と目を細めた。

 また、当時発足したばかりで部員数が少なかった立命館大レスリング部が団体戦に出るため、プロレス同好会に協力を依頼が届いた。RGや棚橋も本格的に取り組んで、同部部員として公式戦にも出場した。RGは「そこで初めて本格的なトレーニングをするようになり、関西の大会にも出てましたね。大学時代はすごく成長できる環境が整っていて、棚橋もプロレスざんまいの日々でしたよ」と言うように〝逸材〟もよりプロレスに傾倒していった時期という。

 棚橋の学生時代を振り返ったRGに、お家芸となった〝あるある〟をお願いすると「誰に頼まれていなくても、自分から『一緒に写真を撮りましょうか』って言いがち~」と渾身のネタを披露した。