【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(17)】2015年9月の秋場所は日馬富士関が初日から全休し、白鵬関も序盤で休場。初めて一人横綱として土俵に立つことになりました。この年の前半に私が2場所連続で休んでいた間は、ほかの2人の横綱が務めを果たしていた。今度は自分が役目を果たす番だと思っていました。

立ち合いの変化で稀勢の里(右)をかわした(15年9月)
立ち合いの変化で稀勢の里(右)をかわした(15年9月)

 13日目を終えて大関照ノ富士と2敗でトップに並ぶ展開。14日目は3敗の1差で追う大関稀勢の里との顔合わせとなりました。先に相撲を取った照ノ富士が負けて3敗目。結びで私が勝てば、単独首位になる状況で土俵に上がりました。ただ稀勢の里とは対戦成績も悪く(過去13勝28敗)、どうしても立ち合いのイメージが頭に浮かんでこない。

「これは、いつも通りに行ったら良くないな。どういう立ち合いがいいのか…」。考えた末、最初の立ち合いは右に動いて不成立。2度目は逆方向の左へ動き、最後は寄り倒して2敗を守りました。あの時は“ヒール”のような言われ方もしたけれど、勝負である以上は、全ての人から拍手をもらうことは難しい。優勝して喜んでくれる人もいれば、そう思わない人もいる。

 でも横綱は何より結果が求められる立場。その責任を果たさなければいけないという強い思いがあったんですね。勝つためにはあれがベストの選択だと思ったし、迷いや後悔はなかった。最終的には千秋楽で照ノ富士との決定戦を制し、横綱として初優勝を達成しました。新横綱から数えて9場所目。「やっと優勝できた」とホッとしたことを覚えている。賜杯を抱いて長女と写真を撮る夢も、かなえることができました。

 昇進から優勝までの間に肩のケガもあったけれど、時間がかかった理由はほかにもあります。横綱に上がった直後は先輩横綱の話を聞いたり、映像を見たりして「横綱とはこうあるべきだ」という理想像を頭の中で勝手につくり上げていたんですね。鶴竜という力士を認めていただいて横綱になったのに“違う鶴竜”になることを目指していた。

 横綱に上がってしばらくたって、自分を見失っていたことに気付くわけです。「今まで通り、ありのままの鶴竜でいいんじゃないか」。そう思えるようになって、気持ちの部分が大きく変わったんですね。誰かのまねをするのではなく、自分らしさを出して精一杯に務めようと考えるようになって、優勝という結果につながった。「これで良かったんだ」と自信になりました。

 ただ次に賜杯を抱くまでには1年あまりを要しました。その前には腰痛による休場もあった。引退までに6度の優勝を経験しましたが、その間はずっとケガとの闘いでした。