【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(12)】2012年3月28日。春場所後に大関昇進が正式に決まり、大阪の法岩寺で行われた伝達式に臨みました。この時に伝達の使者を務めていたのが、兄弟子の錣山親方(元関脇寺尾)です。私が中学生のころ、モンゴルでは日本の大相撲がブームになった。衛星放送で、体が小さい人や細い人が大きい人に勝つ姿を見て「自分も相撲をやってみたい」と思うようになりました。
その時に強く印象に残っていた力士の一人が、寺尾関だったんですね。ただ、当時は井筒部屋に所属していることは知りませんでした。いざ入門してみると、部屋の稽古場にテレビで見ていた人がいる(笑い)。そこで初めて知ったんですよ。「まさか、同じ部屋だったとは…」と、驚いたことを覚えています。しかも、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)の弟だと後から知って、さらに驚きました。
寺尾関は、02年9月の秋場所を最後に現役を引退しました。当時の私は入門1年目で、番付は三段目。まだ髪もザンバラだった。その場所の千秋楽の1日だけ、井筒親方から言われて寺尾関の付け人を経験しました。寺尾関が国技館で現役最後の一番を取り終えると、花道の奥は出迎える人たちであふれ返っていた。目の前の光景に、圧倒されました。
おそらく井筒親方は、その風景を私に見せたかったんでしょうね。「ただ強くなるだけではなく、人々に愛される力士になってほしい」と肌で感じさせるために、付け人につけたのだと思います。寺尾関には引退して錣山親方となってからも、独立して井筒部屋を離れた後も、何かと気遣っていただきました。
私が勝っている時には何も連絡は来ないけれど、調子が悪くて勝てなくなったり、休場したりするとメールが来るんですね。励ましの言葉とともに、いつも最後には「返事はいらないよ」と書いてある(笑い)。人柄が伝わってきますよね。いい時よりも落ち込んでいる時にこそ、人のありがたみが分かる。自分も、つらい思いをしている人に寄り添える人でありたいと思っています。
自分の中では師匠の井筒親方とともに、錣山親方のことも「もう一人の師匠」と思いながらやっていました。その大先輩を使者に迎えることができたことは、忘れられない思い出となりました。
私が大関に上がったことで、番付は史上初の6大関時代となりました。横綱に白鵬関、大関に日馬富士関、琴欧洲、把瑠都、琴奨菊、稀勢の里…。とにかく大関の数が多い(笑い)。幕内後半になると、すぐに大関戦が始まるような感覚です。その中で勝ち進むことは簡単ではありません。目標にしていた初優勝を果たすのは、大関昇進から2年後のことでした。











