【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(11)】2011年9月の秋場所で初めて大関取りに挑み、結果は9勝6敗で失敗に終わりました。この場所後に琴奨菊、そして11月の九州場所後には稀勢の里が大関に上がった。先を越されて、悔しくないわけがありません。まだ先の話になりますが、その後、大関に上がってからは「次の番付(横綱)は、自分が先に上がってやる」という思いを持っていました。
翌年3月の春場所、再び大関取りのチャンスが巡ってきます。この時は把瑠都の綱取りが注目されていて、どちらかというと私の方は陰に隠れていた(笑い)。変に意識しすぎることもなく、場所に臨むことができました。結果は13勝2敗で、大関昇進を果たせた。ただ、うれしい半面、素直に100%は喜べない気持ちもありました。
1敗の単独首位で迎えた千秋楽の本割で豪栄道に敗れ、白鵬関との決定戦にも負けて2連敗。あと一歩で優勝には届きませんでした。応援してくれる人たちの反応も、冗談交じりに「大関に上がれて良かったね。でも優勝してほしかったな」とボソッと言ったりするわけですよ(笑い)。私自身、賜杯を抱く姿を見せられなかったことは、心残りでした。
ただ、プラスになったと思うこともあります。ここで大関と優勝を同時に達成していたら、きっと自分の中で満足してしまっていた。大関になってから2年で横綱に上がったけれど、もっと時間がかかっていたかもしれないなと。逆に、一つ足りなかった悔しさが、その後の力になった。次の目標も「初優勝」と明確になりました。
春場所後の3月28日には大阪・法岩寺で大関昇進伝達式が行われ「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲を取れるよう努力します」と口上を述べました。やはり、ファンあってこその大相撲。見に来ていただいたお客さんのために頑張っていくという決意を込めました。口上を考えるにあたり、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)からは「分かりやすい方がいい。四字熟語は使わなくてもいいんじゃないか」というアドバイスもあった。
あまり難しい言葉にしてしまうと、聞いている側も「どういう意味?」と調べ出したりするじゃないですか(笑い)。それなら、誰が聞いても分かりやすい方がいい。他の人たちと比べるとシンプルな口上になりましたが、個性という意味では自分らしくて良かったと思います。
この日の伝達式には両親もモンゴルから来日して同席してくれました。親孝行できて良かった、もっと頑張ろうという気持ちになった。それから伝達の使者を兄弟子の錣山親方(元関脇寺尾)が務めてくれたことも、忘れられない思い出となりました。











