【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(8)】2006年11月の九州場所で、新入幕を果たしました。十両の時は師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)から「十両なんて、顔じゃないよ」と言われたこともありましたが、この時は「天下の幕内力士になったね」と褒めてくれました。そう言われると、やっぱりうれしい。師匠からの厳しい言葉は「現状に満足せずに上を目指してほしい」という意味だったんですね。それも、後になってから分かったことです。
幕内で最初に立てた目標は三賞を取ること。新入幕の力士は10勝すれば三賞をもらえると聞いていたので、まずはそこを目指していました。ただ番付は西前頭8枚目。この場所は番付が下がる人がたくさんいて、自分がグンと上がりすぎてしまったんですね。対戦相手のレベル的にも10枚目以下ならチャンスはあるけれど、あの位置だと厳しい。正直なところ「勝ち越せるのかな」という不安の方が大きかった。
新入幕の力士は、他の幕内力士にとって未知の相手。どんな相撲を取るのかは、実際に対戦してみないと分からない部分も多い。私の場合も知られていないぶん、何とか8勝して勝ち越すことはできましたが、目標の10勝には届きませんでした。やはり、十両と幕内では立ち合いの圧力が違った。当時の体重は130キロぐらい。まだ体も細く、動き回る中で勝機を見いだすような相撲だった。「もっと体を大きくしないといけないな」と痛感しました。
次の場所では自分の相撲を研究されて、6勝9敗と負け越し。その後はヒザを痛めた時期などもあって、三賞を初受賞したのは入幕から1年あまりたった08年1月の初場所のことでした。場所前から調子も良くて「三賞を取れるかもしれない」という手応えがあった。そして、11勝4敗の成績で技能賞をいただくことができました。
井筒親方も、とても喜んでくれました。実は、この時まで私は技能賞、敢闘賞、殊勲賞の違いもよく分かっていなかった(笑い)。兄弟子たちが受賞後に説明してくれて「そういうことなんだ!」と初めて知ったんですね。相撲のうまさ、技術が評価されてもらえるのが技能賞。井筒親方も現役時代に4回受賞していて、その父親の先代師匠(元関脇鶴ヶ嶺)は10回取っていた。やはり井筒部屋の伝統といえば、技能賞なのだと…。
それを聞いて「それで親方は、あれほど喜んでくれたんだな。本当に良かった」という気持ちになりました。三賞を取る目標を達成してまた一つ、自分の中では大きな自信になった。でも、うれしいと感じている時間は一瞬だけ。すぐに「もっと頑張らなきゃ、もっとやらなきゃ」という気持ちが生まれてくる。三賞の次は、三役に上がることが目標になりました。












