【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(6)】2001年11月の九州場所で前相撲を取り、東京へ戻ると、相撲教習所へ入所しました。国技館の外周を3周するランニングでは、いつも同期の隆の山(※)と先頭争いをしていた。寒い季節なので、早く終わらせて教習所の中で暖まりたかったんですね。まだ日本語が分からないので座学の内容は理解できなかったけど、ローマ字で書かれた歌詞(相撲錬成歌)を曲に合わせて歌ったことは覚えている。

教習所で“ライバル”だった隆の山(上)(11年9月)
教習所で“ライバル”だった隆の山(上)(11年9月)

 私が入所したのは、先に入門していた白鵬関や日馬富士関が卒業した後。02年1月には豊ノ島や琴奨菊、3月には稀勢の里が入ってきました。白鵬関とは同じ1985年生まれ。同年代の人に負けたくないし、後から入ってきた人にはなおさら負けたくない。世代が近い力士には、自分の中で勝手にライバル意識を持っていました。

 02年1月の初場所では序ノ口の土俵に上がり、そこから5場所連続で勝ち越し。番付は三段目まで上がりました。でも順調そうに見えて、実際には跳んだりはねたりする相撲ばかり。当時は運動神経だけで、ごまかしながら勝っていたんですね。番付が上がっていくと、ごまかしが利かなくなってくる。

 結局は体力、地力がないので、次の1年は序二段と三段目を行ったり来たりしていました。体重が頭打ちになったのも、ちょうどそのころです。入門時に70キロもなかった体重は1年間で100キロを超えるまで増えた。ご飯は毎食、必ず丼で3杯以上は食べていましたから。ところが、そこから全く増えなくなってしまった。原因は生魚を苦手にしていたことです。

 師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)からは「魚の脂は体にいい。肉ばかりでなく魚も食べないと体が大きくならないよ」と言われました。そこで「もう食べるしかない」と意を決して、すしを口にしてみたら…。これが、おいしかった(笑い)。単なる食わず嫌いだったんですね。魚を普通に食べられるようになると、場所ごとに2、3キロずつ体が大きくなっていきました。そのころにはジムにも通うようになり、徐々に筋肉もついてきた。

 04年5月の夏場所は東三段目3枚目となり、幕下に上がるチャンスが巡ってきました。稽古では幕下の人にも勝っていたし、やれる手応えはあった。でも勝ち切れなくて3勝4敗。逆に番付を下げてしまった。本当に悔しくて「来場所は絶対に優勝してやる!」と目標を立てたんですね。7月の名古屋場所では全勝優勝して翌場所に幕下に上がることができました。

 自分で立てた目標を達成できた経験は、さらに上の番付を目指す上でも大きな自信になった。次の年には念願の関取になることができました。 

※ チェコ出身初の幕内力士