【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(5)】2001年9月。16歳でモンゴルから来日した私は、井筒部屋へ入門しました。約半年間は部屋からの外出を禁じられ、周りは日本語だけの環境。そのおかげで、言葉は1年でだいぶ分かるようになりました。今の時代に海外から日本に来た人の中には、1年たってもあまり話せない子もいる。時間さえあれば、スマホを使って自分の国の言葉でやりとりをしているからだと思います。
私の場合、文字を覚えるのにすごく役に立ったのが「テレビ」と「カラオケ」です。テレビのバラエティー番組などでは、出演者が話した時に画面の端の方に字幕(テロップ)が出たりしますよね。カラオケも歌に合わせて歌詞の色が変わるし、漢字にふりがなも振ってある。目で見て、耳で聞いて、言葉を一つひとつ覚えていきました。
カラオケは師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)に村田英雄さんの「王将」を最初に覚えさせられました。後援会のパーティーなどで目上の人の前で歌うとなると、若い人が歌うような流行の曲より演歌系の方が好まれますから。そのほかにも、休みの日には部屋の兄弟子とカラオケに行ったりして、歌える曲を増やしていきました。言葉に比べて、日本の食事には早くなじめたと思います。
最初から白いご飯は大丈夫だったし、兄弟子から「食べてみな」と言われて納豆を出された時も普通に食べていましたから。「エッ!? まずくないの?」と驚かれたぐらいです。ただ、生魚だけはどうしても苦手だった。モンゴルは生ものを食べる習慣がないし「おなかを壊すんじゃないか。嫌だな」というイメージがあったんですね。食べられるようになるまでには、しばらく時間がかかりました。
それから、日本に来たばかりのころには、おかみさんが気を使ってくれて、私のために羊肉を買って焼いて出してくれたこともありました。でも、これはおいしくなかった(苦笑い)。モンゴルの羊肉とは違うし、向こうでは焼いて食べることもあまりない。とにかく、においがきつくて…。その時は「まずい」とも言えないし、食べなきゃと思って我慢して食べました。
井筒部屋で新生活をスタートさせた一方で、相撲では01年11月の九州場所で初土俵を踏みました。しこ名は「鶴竜力三郎」。当時の先代師匠(元関脇鶴ヶ嶺)のしこ名と、部屋の大先輩の寺尾関が一時期に名乗っていたしこ名(源氏山力三郎)からそれぞれいただいた…ということを理解したのは、後になってからのことです。その時は言葉も分からなければ、しこ名の意味も分からない。
ただ、目の前の相撲を取ることに必死でした。ここから、私の相撲人生が幕を開けることになります。













