【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(7)】2005年9月の秋場所。東幕下5枚目で5勝2敗の成績を残し、新十両昇進を果たしました。入門して何場所かたったころ、兄弟子たちに「何年ぐらいで関取になれるものなんですか?」と聞くと「4、5年で十両に上がったら大したもの」と言われたんですね。そこで初めて、自分の中で「5年以内、20、21歳で関取になる」という大きな目標ができた。

東京・墨田区の旧井筒部屋
東京・墨田区の旧井筒部屋

 入門からちょうど4年で、年齢は20歳。当初の目標より1年早く達成できたことが、本当にうれしくて自信になりました。次の目標は幕内に上がること。まだ当時は、横綱や大関など全く考えられませんでした。最近は入門した時から「横綱になる」と言う子もいるけれど、ちょっと理解できない(苦笑い)。夢というものは、目の前の目標を達成した先に広がっていくものだと思います。

 幕下と十両では、力士の待遇は大きく変わります。関取になると毎月の給料が入るようになり、付け人がついて身の回りの世話をしてくれるようになる。ただ、部屋での生活はあまり変わりませんでした。十両の最初の場所は環境を変えたくなかったので、個室に入らずに若い衆と一緒に大部屋で寝ていました。

 名前の呼び方も一緒。兄弟子から「これからは『関取』と呼ぶ?」と聞かれましたが「今まで通り、名前(アナンダ)で読んでください」と言いました。兄弟子たちも人前では私を立てて「関取」と呼んでくれたけれど、部屋の中では変に気を使わずに接してくれた。ただ、居室は師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)から「関取の自覚を持ってやりなさい」ということで、十両2場所目からは個室に入りました。

 新十両で臨んだ05年11月の九州場所は5勝10敗の大負け。1場所で関取から陥落する結果に「せっかく上がったのに…」と悔しくて仕方がなかった。もちろん自分の力不足だったこともありますが、改めて振り返ると調整のやり方も失敗でした。本場所中は朝稽古から目一杯に体を動かして、取組前にも精一杯、汗をかいていた。部屋に帰ってきてからも夕食までの間に運動していました。

 いくら若いといっても、これでは体が持ちません。場所の前半が終わった時点で「残りの1週間、どうやって相撲を取っていけばいいのか」と思うぐらいに疲れ切っていた。でも、それが当時の師匠の教えでした。稽古で目一杯にやっておかないと「調整しているのか! 顔じゃないよ(分不相応)」と言われ、めちゃくちゃ怒られましたから(苦笑い)。

 それでも、くじけるわけにはいきません。翌場所で幕下に転落した私は1場所で十両に復帰すると、4場所連続で勝ち越し。ついに新入幕を果たすことになりました。