【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(9)】2009年5月の夏場所で新小結となり、翌7月の名古屋場所では新関脇に昇進しました。目標だった三役昇進を果たし、幕内上位に定着していた10年1月の初場所後のこと。横綱の朝青龍関が不祥事の責任を取り、現役を引退する出来事がありました(※)。もちろんニュースには驚きましたが、私は横綱の騒動とは関係はありません。

 でも、この時に師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)からめちゃくちゃ怒られたんです。「自分は何も悪いことはしていないのに…。なんで、こんなに怒られないといけないの? 自分が同じことをするわけがない。どうして信じてくれないの?」と心の中で思っていました。実は当時、他のモンゴル出身の先輩が何か問題を起こすと、無関係の自分が師匠から怒られることが結構、ありました。

 その時は意味が分からなかったし、納得できない気持ちもあった。ただ後から振り返ると「そういうことを、やっちゃいけないよ」とクギを刺すためだったのかなと。ダメなことはダメだと分からせるために、あえて怒っていたのだと思います。私のことを大事に思う気持ちが強いあまり、そういう厳しい態度になっていたんでしょうね。

 その後「真面目な横綱」と言われましたが、真面目すぎたかなと自分でも思うことも(苦笑い)。師匠から「目立つ行動はしてはいけない」と厳しく指導されて育ってきたので自然とそうなっていったんですね。今になってみると、それで良かったのかな。横綱は強いだけでなく、いろんなタイプの人がいる。真面目な性格も、自分の個性だと考えています。

 最後は、あのような辞め方になってしまいましたが、朝青龍関は横綱の大先輩。私が21年3月の引退後にモンゴルに帰った際には、直接会いに行って断髪式の案内状を手渡しました。23年6月の断髪式には、モンゴルから来日して大銀杏(おおいちょう)にハサミを入れてくれた。やっぱり、そういう場に来てくれるのはうれしいですよね。

 改めて振り返ると、私が幕内に上がったばかりの06年の冬巡業では朝青龍関に稽古でコテンパンにされて、かかとを痛めてしまったこともありました。でも、そういう厳しい稽古があったからこそ「もっと強くならなきゃ」という気持ちになった。本場所で朝青龍関に勝つことはなかったけれど、自分が横綱になったことで一つの恩返しができたかなと思います。

 11年になると、私は三役で10勝以上の成績を残せるようになり、大関取りに挑戦することになります。ただ、その前に相撲どころではなくなってしまうような出来事が立て続けに起こりました。

 ※朝青龍が初場所中に泥酔し、知人男性へ暴行したことが発覚。騒動の責任を取り、2月4日に引退を表明した。