【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(13)】2012年3月の春場所後、大関昇進を果たしました。当時の番付は横綱に白鵬関、大関に日馬富士関、琴欧洲、把瑠都、琴奨菊、稀勢の里。自分を含めて史上初の6大関時代となりました。これだけのメンバーの中で勝ち抜いていくのは、厳しいものがある。なかなか優勝争いに絡むことができず、8番や9番しか勝てない場所が続くこともありました。
9月の秋場所後には、同じ年に入門した日馬富士関が横綱に昇進。やっと同じ番付に追いついたと思ったら、また一つ先を越されることになりました。ライバルたちと渡り合っていくためには、筋肉の量を増やしてもうひと回り体を大きくしないといけない。大関に上がって1年たったころからは、より一層トレーニングに力を入れるようになりました。
そこから1年かけて、体重も10キロほど増えて155キロになった。筋肉がついてくると、圧力が増して、簡単には押されなくなったことが実感できました。鍛錬の成果が表れたのが、14年1月の初場所です。ただ、この場所はとても悔しい思いもしました。千秋楽の本割で白鵬関に勝ち、横綱と14勝1敗同士の決定戦になった。
勝てば初優勝が決まる一番は、一方的に寄り切られて負けてしまいました。振り返れば、大関昇進を果たした2年前の春場所でも、決定戦では白鵬関に負けて優勝を逃している。「ここまで来て、また負けた。優勝するのは、こんなにも難しいことなのか…」。14勝しても優勝できないという現実を、なかなか受け入れることはできませんでした。
もちろん、いつまでもショックを引きずっているわけにはいきません。3月の春場所へ向けては、ひたすら稽古に打ち込みました。稽古が充実していたという意味では、この時期が一番だったかもしれません。どんどん稽古して、いくらやっても疲れないほど体も元気。大阪に入ってからも、ほぼ毎日のように出稽古をしていた。場所直前の仕上げの稽古では、トータルで50番近く相撲を取りました。
出稽古に来ていた日馬富士関とも三番稽古をやって、自分の相撲が取れていた。実は、この場には白鵬関も稽古に来ていたんです。私は白鵬関ともやりたいと思っていたけれど、向こうは相撲を取ってくれなかった。それを見て「自分と相撲を取るのを嫌がっているのでは…。『今までの鶴竜とは違う』と意識しているのかもしれない。自分にとっては、チャンスなんじゃないか」と思ったんですね。
それぐらい、自分の中では順調に仕上がっていたし、やれる手応えもあった。そして迎えた春場所。ついに初優勝を果たし、横綱に昇進することができました。











