【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(18)】2016年7月の名古屋場所は腰痛で途中休場を余儀なくされました。腰の痛みは若いころから多少あったけれど、体が大きくなっていくにつれて負担も大きくなっていった。横綱に上がってからは、たびたび休場の原因になりました。腰の骨がずれてしまうと、神経に当たって2週間は動けなくなる。寝返りを打つだけで激痛が走り、夜中にトイレに行くのも一苦労でした。
腰痛を乗り越えて11月の九州場所は14勝1敗の成績で通算3度目、横綱として2度目の優勝を達成しました。横綱で初優勝した15年9月の秋場所からは、丸1年以上がたっていた。この場所は痛いところもなく、元気な体で臨むことができました。一人横綱で優勝した前回と異なり、今度は白鵬関、日馬富士関も揃っていた。また違った意味で、価値がある賜杯となりました。
今にして思えば、このころの時代は本当に優勝争いのレベルが高かった。本場所の15日間の中で、1回負けたらもう“黄信号”ですよ(苦笑い)。2敗しようものなら“赤信号”になることさえあった。実際、私も大関の時に14勝しても賜杯に届かないことがありました。序盤での取りこぼしが命取りになりかねないだけに、気が抜けない戦いでしたね。
17年1月の初場所では稀勢の里が初優勝を果たして横綱に昇進し、4横綱時代となりました。ただ、この年の私は故障が重なり、15日間を皆勤できたのは1場所だけ。賜杯から長く遠ざかることになりました。改めて振り返ると、横綱を務めている間は、常にケガとの闘いでもあった。肩から始まって、首、足首、腰痛…。
1か所を痛めてしまうと、そこをカバーしようして別の部分に負担がかかってしまう。体全体のバランスが崩れて、新たな故障につながっていくんですね。5月の夏場所からは、4場所連続で休場。精神的につらいものがありました。ただ、辞めることは一切考えなかった。「絶対に結果を残してやる」という強い気持ちで復帰を目指していました。
18年2月には手術も経験した。実は横綱で初優勝した場所で左足首のあたりを痛めていたんですよ。千秋楽の本割で照ノ富士に寄られた時に、俵のところでギュッとひねったような感じになった。あの時は「ちょっと痛いな」と思う程度だったけれど、かかとのあたりがどんどん痛くなって、その後も気になっていた。1月の初場所が終わったタイミングで左足にメスを入れ、遊離軟骨を除去しました。
そして、3月の春場所では通算4度目の優勝を果たすことができた。次の5月の夏場所では、まだ達成したことがない2連覇に挑むことになりました。













