【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(15)】2014年3月28日。私は東京・明治神宮で当時の理事長だった北の湖親方から横綱推挙状と綱を手渡されました。親方には自分が入門する際に一度、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)に連れられてあいさつをしたんですね。その人から受け取ることができたのは感慨深いものがありました。授与式後の奉納土俵入りで締めた三つぞろいの化粧まわしも、理事長からお借りしたものです。

雲竜型の土俵入りを初披露した鶴竜。左は太刀持ちの勢(14年3月)
雲竜型の土俵入りを初披露した鶴竜。左は太刀持ちの勢(14年3月)

 井筒親方は北の湖親方のことをとても尊敬して、慕っていました。私も師匠からは、いつも人柄について聞かされていた。大横綱でありながら若い力士にも気さくに声をかけて面倒を見てくれる。常に力士のことを第一に考えてくれていると…。もちろん、相撲に対する姿勢には厳しさがある。自然と北の湖親方を見習わないといけないと思うようになりました。

 それから、この日の授与式と土俵入りでは一つだけ心残りだったことがあるんです。2日前に大阪で行われた横綱昇進伝達式は両親がモンゴルから来日して見届けてくれた。その翌日にはモンゴルに帰っているんですね。当時の私は明治神宮に家族のための席があることを知らなかった。

 後になってから聞いて「うわーっ、どうして誰も教えてくれないの? 言ってくれればよかったのに…」とショックを受けたことを覚えている(苦笑い)。事前に知っていたら、もちろん両親の帰国を先延ばしにして明治神宮にも連れていってあげられた。なにせ、一生に一度しかないことですから。横綱として初めての土俵入りを、親に見せたかったという思いがありますね。

 少し先の話になりますが、家族のことで言うと、横綱になってから人生の転機となる出来事もありました。15年の1月には婚約を発表して、その後に入籍した(※1)。横綱として結果を出せなければ、妻も周りから「この人と結婚してダメになった」と陰で言われてしまう。それだけは絶対に言わせてはいけないと心に誓いました。

 同じ年の5月には第1子の長女(※2)が誕生した。子供ができると、やっぱり賜杯を抱いて一緒に写真を撮りたくなる(笑い)。17年には長男(※3)が生まれ、巡業で一緒に土俵入りをしたいと思うようになりました。そうやって、どんどん新しい目標ができてくるんですね。自分の中で、家族の存在は大きな支えとなりました。

 ただ、横綱としての道のりは順風満帆だったわけではありません。横綱で初めて優勝したのは、昇進から数えて9場所目。それまでの間にケガとの闘いもあった。故障で休場している時には「復帰したら必ず優勝しなければ…」という思いが募りました。

 ※1 ムンフザヤ夫人。

 ※2 アニルランさん。

 ※3 アマルバイスガランさん。