【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(16)】2014年3月の春場所後、横綱昇進を果たしました。ただ、そこからの道のりは万事順調だったわけではありません。しばらく優勝できない場所が続き、15年3月の春場所は左肩のケガで休場となりました。1年前に横綱昇進を決めた大阪で、応援してくれた人たちに横綱になった姿を見せられない。とても残念で、もどかしい思いがありました。

 実は1月の初場所が始まる前の時点で肩に痛みがあった。初場所中も「おかしいな」と思いながら、相撲を取っていたんですね。途中からは肩が上がらなくなって、Tシャツを着るのもしんどくなった。何とか15日間を乗り切って、場所後に病院へ行って検査を受けました。診断結果は、左肩の腱板損傷。原因は筋力トレーニングのやりすぎでした。

 大関から横綱に上がる過程でトレーニングに力を入れるようになり、体重も10キロほど増えた。圧力がついて相手に押されなくなったことが、横綱昇進につながりました。目に見える形で結果が出たので「もっとやれば、もっと強くなれる」と当時は思っていた。横綱に上がってからも、筋力トレをガンガンやり続けていたんですね。それで肩に負担がかかりすぎてしまっていた。

 痛めた箇所は肩の奥の部分だったので、治るまでには時間がかかりました。春場所に続いて5月の夏場所も全休。リハビリに取り組んでいる間は長く感じたし、苦しかった。まだ横綱として優勝を経験していなかったので「復帰したら必ず優勝しなければ」という思いが募りました。こういったケガの話も、現役を引退した今だから言えることなんですね。

 当時は横綱の立場として「痛いんです」とか「まだ治らないんです」とは絶対に言えないし、記者の皆さんからケガの状態を聞かれても「大丈夫です」と言うしかなかった。休場が続いて周りから「また休んでいるよ」と言われても、言い訳や反論はできない地位なんですね。とにかく、本場所の土俵に戻って絶対に優勝する。その思いだけでした。

 この時のケガは、自分の体のことを深く知ろうとするきっかけにもなりました。パワーをつけるだけではダメだなと考えるようになり、ゴムチューブなどを使って細かい筋肉も鍛えるようになった。大きなエンジンを積んでいる車でも、実際には一つひとつの細かい部品が動かしている。人間の体も同じ。トレーナーをつけて体をつくり直し、ケアに一層時間をかけるようになりました。

 肩の故障から回復すると7月の名古屋場所から土俵に復帰しました。そして、9月の秋場所では横綱として初めて賜杯を抱くことができた。新横綱から9場所目、約1年半後のことでした。