【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(19)】2018年3月の春場所で通算4度目、5月の夏場所では5度目の賜杯を抱き、初めて2場所連続優勝を達成しました。今だから言えることですが、連覇がかかっていた夏場所の後半3日間ぐらいは、38度の熱を出していたんです。相撲は何とか取れる状態だったので、薬を飲みながら土俵に上がっていた。ただ、このことは師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)には黙っていました。

長男アマルバイスガランさんにキス。右隣は長女アニルランさん(18年3月)
長男アマルバイスガランさんにキス。右隣は長女アニルランさん(18年3月)

 もともと親方はすごく心配性の人で、横綱になってからは序盤に一つ星を落としただけで休場を勧められたこともあった。横綱の師匠として、気苦労が絶えなかったと思います。発熱のことも親方が知ったら心配してしまうので言えなかった(苦笑い)。それでも、気力で15日間を乗り切って最後は連覇を果たすことができました。

 私が横綱になる直前の2場所は、準優勝(優勝同点)と優勝。当時、ほかの横綱はみんな2場所連続優勝で昇進していた。そのことが、ずっと心に引っかかっていたんですね。ラッキーで上がったとは思われたくなかったし、連覇を果たして実力を証明したいという目標は常に持ち続けていた。自分にとっては、大きな意味を持つ優勝となりました。

 横綱昇進の条件(2場所連続優勝、または準ずる成績)が「厳しすぎる」と感じる人もいるかもしれませんが、やはり必要なものだと考えています。どんな時でも優勝争いが求められるし、結果が出なければ辞めるしかない地位。そこを目指す過程で実力だけではなく精神的なものも試されるんですね。そこのハードルを下げてしまうと、上がってから苦労する。崩してはいけないところだと思います。

 3連覇を目指して臨んだ7月の名古屋場所は、右ヒジのケガで途中休場となりました。どういうわけか、名古屋場所ではケガが重なってしまい、前年と2年前にも休場していた。本場所の会場の中では、唯一優勝の経験がない場所でした。名古屋で賜杯を抱いて、応援してくれる人たちを喜ばせる。それが次の目標になりました。

 そして、翌19年の名古屋場所では14勝1敗の成績で6度目の優勝を果たした。井筒部屋が宿舎を構えていた愛知・東浦町の乾坤院は16年に火災で大きな被害を受け、違う場所に宿舎を移していた時期もありました。建て直されて以前の場所に戻った年に、名古屋場所で初優勝することができた。その意味でも、良かったと思います。

 名古屋場所後の休みを利用して、私はモンゴルへ帰省しました。つかの間のリフレッシュを終えて日本に戻ると、夏巡業への出発前に井筒親方とメールでメッセージのやりとりをした。それが師匠との最後の会話になってしまいました。