【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(20)】2019年9月の秋場所中には、つらい出来事がありました。その1か月半前の7月下旬。夏巡業に出発する前に師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)と普段通りにメールでメッセージのやりとりをしました。親方からは「明日からの巡業、また頑張って」。私は「はい、分かりました。ありがとうございます」。それが師匠との最後の会話になってしまいました。

 親方が入院したという知らせを聞いたのは、夏巡業中に一時帰京した8月のことです。体調が悪くなったので病院で検査を受けたところ、糖尿の数値が急激に悪化して意識がもうろうとしているとのことでした。そして夏巡業を終えて再び東京へ戻った後に、親方が膵臓がんを患っていることを知った。しかもステージ4だと…。驚いて入院先の病院へ行こうとしました。

 でも、部屋のおかみさんからは「回復しているから」「また元気になったら、会いに来て」と言われ、会うことはできませんでした。せめて顔だけでも見たいと思い、秋場所初日の前日にも面会をお願いしたけれど、かなわなかった。その時は「なんでだろう?」と不思議に思いながらも「回復に向かっているのなら、秋場所が終わってから会いに行こう」と考えていました。それが、まさか…。

 秋場所4日目の夜になって「親方の体調が急変したので病院まで来て」と連絡を受け、急いで駆けつけると、すでに親方の意識はありませんでした。病院には家族も集まっている。「えっ、何? これって…。親方は亡くなってしまうということ?」。正直、もう相撲を取れるような状況ではありませんでした。

 秋場所では初日から4連勝していましたが、5日目から3連敗して休場することになった。そして9日目の16日夜、親方は病院で息を引き取りました。まだ58歳。あまりにも突然すぎる別れでした。親方のがんを知ったあの時に、強引にでも病院に行ってしまえばよかった。ひと言でもいいから、親方と会って言葉を交わしたかった。今も、一生の後悔が心の中に残っています。

 親元を離れた時に感じるように、親方が亡くなって存在の大きさを知りました。自分はずっと親方に守られていたんだなと改めて気付かされた。「引退」という言葉が初めて頭をよぎったのも、この時です。それまではケガで休場が続いても、賜杯から遠ざかっても、復活できると信じて辞めることは少しも考えなかった。

 親方がいなくなるということは、井筒部屋もなくなってしまう。この先、どうなってしまうのかも分からない。このまま相撲を続けることができるのか。しばらくは不安な日々を過ごすことになりました。