【第71代横綱 鶴竜力三郎の軌跡 一生懸命・音羽山親方自伝(21)】2019年9月の秋場所中に師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が亡くなり、私を含めた井筒部屋の力士3人は時津風一門の鏡山部屋へ一時預かりとなりました。一門内での話し合いの末、秋場所後には井筒親方の兄弟子にあたる陸奥親方(元大関霧島)の部屋へ行くことになった。自分にとって、部屋の移籍は初めての経験です。
一方で、陸奥部屋から見れば「横綱が来る」ということで、後援会の方たちからすごく期待されちゃうわけですね(苦笑い)。もちろん、陸奥部屋に入ったからには期待に応えたいし、優勝してみんなを喜ばせたい。ただ、11月の九州場所は腰痛で休場。20年1月の初場所も左足首のケガなどで途中休場となり、もどかしい思いばかりが募っていきました。
新型コロナウイルス禍で無観客開催となった3月の春場所は4場所ぶりに皆勤して12勝3敗。千秋楽に白鵬関との相星決戦に敗れ、陸奥部屋での初優勝を果たすことはできませんでした。その後はコロナ禍の影響が、自分自身にも降りかかってくることになった。一つは、モチベーションの問題です。このころは、応援してくれる人たちのために頑張ろうという気持ちだけで相撲を取っていました。
日ごろから支えてくれる人たちと直接会って話をすることで元気をもらったり、逆に自分が頑張る姿を見せて元気づけてあげたいと思ったり…。コロナ禍の外出制限で、そういうことが一切できなくなってしまったんですね。そして何よりも、ずっと続けてきた相撲のルーティンが、全て変わってしまったことも大きかった。
ジムでトレーニングをすることもできないし、出稽古に行って調子を上げていくこともできない。どの力士も条件は同じだけれど、関取同士の稽古が十分にできないまま、いきなり本場所を迎えるのは調整の面で厳しいものがある。実際、このコロナ禍の時期は相撲全体の質が少し下がってしまったと感じています。
5月の夏場所は中止となり、東京開催となった7月場所から本場所が再開されました。ただ、その後も右ヒジの故障や腰痛などで休場が3場所続き、11月の九州場所後に横綱審議委員会から「注意」を受けた。精神的にも井筒親方が亡くなったことをはじめ、いろいろなものが重なって、どんどん心が削られていきました。それでも、何とか「もう一度」という気持ちで立て直そうとしましたが、次第にケガと向き合っていくことが本当につらくなってしまったんですね。
21年1月の初場所も腰痛のため出場できず、4場所連続で休場となりました。そして3月、コロナ禍で東京開催となった春場所に全てをかけることになりました。












