【レジェンド雀士からの金言】麻雀プロ界を創造してきたレジェンドへのインタビューシリーズ。今回は1981年に創設された日本プロ麻雀連盟の1期生であり、同団体の最高峰タイトル鳳凰位を3度獲得した古川孝次(76)の生きざまに迫る。プロ入りしてから44年間、地元愛知県名古屋市から対局のたびに上京。2025年現在も同団体最高峰リーグで最年長プロとして戦い続ける古川は、自身の麻雀について「王道か邪道かといえば、私の麻雀は邪道です」と語る。その真意とは――。
愛知県名古屋市で3人きょうだいの次男として誕生した古川が麻雀を覚えたのは浪人時代。多摩美術大学に入学してからは麻雀ざんまいの日々だったという。「学校の前に麻雀店があったんですが、みんなにバレないように裏口から入店してました。卒業制作の絵画はなんとか提出して卒業できましたが、当時はよく卒業できない夢を見てましたね」
大学卒業後は都内の広告デザイン事務所で3年ほど勤めた後、名古屋に戻って仲間3人と広告関連のデザイン事務所を立ち上げた。「デザイン事務所と同時に、副業で父親からお金を出してもらって麻雀店もオープンし、幸か不幸か麻雀店経営の道も歩み始めました」
運命の“再会”が名古屋であった。「東京で働いていた時、小島武夫、灘麻太郎らが集まっていた新橋の麻雀店主催の大会で優勝したことがあって、これなら麻雀プロとしても生きていけるのかなと思っていた頃、名古屋の麻雀店が主催する大会に小島さんが来てくれたんです。その大会でも優勝したら『お前は見込みがあるから、東京に来てプロになれ!』と言われ、日本プロ麻雀連盟に入会しました。1期生は小島会長、灘副会長、森山茂和、荒正義、伊藤優孝、私といった感じでした」と以来44年間、名古屋と東京を往復しながらプロ活動を続けてきた。
プロ入り18年目となる1999年、同団体の最高峰タイトル鳳凰位を初めて獲得後、3連覇という偉業も達成した。副業で始めた麻雀店はいつしか本業となり、最終的に10店舗は立ち上げたという。
「麻雀店をオープンしては閉店を繰り返していたので“ビルド&クラッシャー”だなんて2ちゃんねるに書かれたこともありました。もともと真面目なタイプだったんですが、4店舗ほど経営していた頃、フィリピンクラブで遊び始めたら、わーっとハマって止まらなくなってしまったんです。結局、店の売り上げを全部使ってしまいました。下手にお金を稼ぎ出すとなんでもできる気になってしまって、カミさんと4人の子供たちを泣かせることになってしまったんです。麻雀は人生の縮図だと思っていましたが、有頂天になってしまったら必ず落とし穴があるんですよね」
自身の麻雀を「王道か邪道かといえば、邪道です」と言い切る。「私の言う邪道とは小手先だけという意味。メンゼンでリーチをかけてなんでもツモるのが王道。王道から見れば、私のような第1打からチー、ポンするようなすぐ鳴く麻雀は嫌がられる存在だと思います。ただ、小手先打法も毎回やっていると、嫌がられる存在から珍しいことをするやつがいると受け止めてもらえる存在にはなれた気はしています。それでも邪道は邪道であり、王道に勝るものはありません。私から見れば、王道といえば瀬戸熊直樹。ロンではなくてツモというのが王道の極みだと思うんですよね」
ライバルは鳳凰位を4度獲得している前原雄大だと即答する。
「すごい男だなと思ってましたね。満貫や跳満の手変わりがあっても、堂々とリーチをかけてツモりにくる。鳴いたらオリるなというファイティングスタイルで、仮に親のリーチが来ても自分の手牌を曲げずに前に出てくる。圧倒的な奇麗さはないけれど、とんでもない爆発力がある。対して私はトップを取る麻雀ではなく2着でいいという麻雀。だいたい±20ポイントを行ったり来たりしながら1年間戦っていく。リーグ戦が始まる前、まるでプロレスのマイクパフォーマンスさながらに、前原のリーチにはいっさいオリないと宣言したこともありました。今は前原も私もいつ死んでもおかしくないという思いを背負って麻雀を打っているんですよね」
2025年現在も2人は日本プロ麻雀連盟の最高峰リーグをはじめ、同団体の礎を築いてきたレジェンドプロ7人と現鳳凰位の意地がぶつかり合う「達人戦~GREAT LEAGUE~」でもしのぎを削っている。「達人戦のメンバーは同じ釜の飯を食ったという自負があるんで、牌を交える時は本当に楽しく、感慨深いものがあるんですよね」
☆ふるかわ・こうじ 1949年4月12日、愛知県名古屋市生まれ。多摩美術大学卒業。小島武夫にスカウトされ日本プロ麻雀連盟1期生として入会。主なタイトルは第16、17、18期鳳凰位、第7、9、10、11期阿佐田哲也杯他。オンライン対戦型麻雀ゲーム「KONAMI麻雀格闘倶楽部」にも参戦中。好きな役はタンヤオ、趣味は映画観賞。














