2月に死去したプロレス界の〝平成の仕掛け人〟こと永島勝司さん(享年82)の追悼大会「永島勝司追悼プロレス」(バトル・ニュース主催)が24日、東京・池袋の・ヨドバシHD池袋ビル9階屋上特設会場で開催された。
永島さんは東京スポーツ新聞社で運動部記者、整理部長として活躍。故アントニオ猪木さんの右腕となり、新日本プロレス入社後は1989年4月の東京ドーム初興行、95年4月の北朝鮮「平和の祭典」、同年10月の「新日本対Uインター全面戦争」、98年4月の「猪木引退試合」など、プロレス史に残るビッグイベントを手掛け、〝平成の仕掛け人〟と呼ばれた。新日本では取締役企画宣伝部長を務めると、専修大学の後輩で太いパイプがあった長州力と組み、翌03年にWJを旗揚げした。WJでは専務取締役の重職も務めた。
この日の追悼大会では遺族が見守る中、DDT、新日本、GLEAT、ガンバレ☆プロレスの各団体が協力。第1試合に出場した中嶋勝彦(37)は永島さんにスカウトされ、2002年にWJ入り。「長州さん、永島さんの2人がいなければ、僕はこのプロレス界に生まれていない。本当に感謝している」と、マイクで追悼の言葉を贈った。
新日本の〝ミスター〟永田裕志(57)は、第2試合の追悼トークショーに参加。長州の付け人時代や新日本vsUインター、永島さんが新日本を退社してWJ設立にいたった経緯など、〝平成の仕掛け人〟との思い出を振り返り観衆を沸かせた。
トークショー後に取材に応じ「俺には優しかったですね。『お前は、会社を動かせる力を備え持っている。将来、俺はお前を懐刀とする』みたいなことを言われました。長州さんとのコンビで新日本プロレスを盛り上げていたころ、一番よく言われたかな」と明かし、永島さんからは〝仕掛け人〟の後継者として期待されていたという。
永田は2001年に当時ノアの秋山準の新日本参戦に動き、同年10月にタッグ、02年1・4東京ドーム大会では一騎打ちが実現した。「長州さんからは『これは難しいぞ』と言われたが、『お前、さすがだ』と永島さんは実現に動いてくれた。秋山選手を新日本のリングに上げようとしたことをすごく評価してくれた」。トップ選手でありながらプロレス界の〝壁〟を破壊しようとしたミスターを、陰で支えてくれたという。
トークショーでは「どんぶり勘定時代の新日本プロレスをいろんな企画を練って、良くも悪くも上昇させようと考えてくれた方ですね。まさに〝平成の仕掛け人〟。〝昭和の仕掛け人〟の新間寿さんも今年お亡くなりになって、本当に一つの時代が終わったかなと、寂しい思いもある」と締めたミスターは、秘話の数々で〝平成の仕掛け人〟を悼んでいた。













