21日に亡くなった〝過激な仕掛け人〟こと新間寿さん(享年90)の葬儀・告別式が30日、東京・新宿区喜久井町の感通寺でしめやかに営まれた。

 新間さんは3月24日に体調不良を訴えて都内の病院で診断を受けたところ、新型コロナウイルス感染と肺炎を発症していることが発覚。治療後に本人の強い希望を受けて18日に退院し、21日に自宅で亡くなった。

 式には藤波辰爾、初代タイガーマスク(佐山聡)、大仁田厚、ジャガー横田、中嶋勝彦、MAZADA、KAZMA SAKAMOTO、Sareee、MIRAI、マリーゴールドのロッシー小川代表、RIZINの榊原信行CEOら多数のプロレス・格闘関係者が参列した。

 弔辞は藤波と初代虎がささげた。藤波は1978年1月に米ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデン(MS・G)でのWWWFジュニアヘビー級王座奪取をはじめ、新間さんの数々の〝仕掛け〟によってドラゴンブームを巻き起こした。

「プロレスを最後まで愛した新間さん。あなたと出会いプロレスラー藤波辰爾は大きく飛躍しました。MS・Gでチャンピオンなったその日から私のことを『カンペオン』と呼ぶようになりました。あなたの『何かしろよ』の一言で生まれたドラゴンスープレックス、ドラゴンロケット、MS・Gでの婚約発表。あなたのアイデアによって藤波辰爾は作り上げられ、私の人生を色鮮やかにしてくれました」と振り返りつつ「私のプロレス人生の輝きの多くは、あなたに与えられました。藤波辰爾は新間さん、あなたの作品です」と断言した。

 さらに藤波は「あなたの過激な仕掛けによってアントニオ猪木の時代を作り、新日本プロレスは黄金期を迎えました。あなたがいてこそ起きた新日本プロレスブームです。あなたのプロレスへの愛情と熱意が選手だけではなく社員にまで伝わり、新日本プロレスは間違いなく最強軍団になりました」と70~80年代の新日本プロレス時代を回想。「プロレスの長い歴史の中で新間さんが作った時代は、これからも色あせることなく輝き続けていくことでしょう」と故人の功績をたたえた。

「プロレスラー、そしてファンに夢を与え続けてきた新間寿さんに最大なる敬意を表します。新間さん、本当にありがとうございました。ゆっくりとお休みください」と呼びかけた藤波。天国へと旅立った昭和プロレスの重鎮を、感謝の気持ちとともに見送った。