アジアチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)準々決勝(27日=日本時間28日、サウジアラビア)で、アルサッド(カタール)と激突するJ1川崎の長谷部茂利監督(54)と、元日本代表FW武田修宏氏(57=本紙評論家)が対談。ヴェルディ川崎(現東京V)時代の同僚が現在と過去について語り合った。
武田氏(以下武田)シゲ、久しぶり。もう「シゲ」って呼んだらまずいな。長谷部監督だからな。今日はいろいろと監督としての話を聞きたくて来ました。
長谷部監督(以下長谷部)ホント、お久しぶりです。お元気ですか。うれしいですよ。
武田 早速、Jリーグも開幕し、少し日程も進んだけど、監督になって段階的には今、難しいところかな。就任1年目で自分のスタイルの中でリーグを戦いながらACLE(アジアチャンピオンズリーグ・エリート)があり、若手とベテランがいる中でチームを成長させないといけない。自分の中では我慢のときなのかなと感じてますけど。
長谷部 前監督から引き継いだものは良いものしかないので後任としてはラッキーでした。選手も若手、ベテランと幅広くいるので助かってます。ただ公式試合のスケジュールがタイトすぎて練習ができない、少ないのが悩みではあります。
武田 水戸、福岡で監督をして今度は優勝争いをするチームを率いる。その辺の難しさもあるのかな。水戸時代に「みんな一生懸命やるから監督としてやりがいがある」と言っていた。川崎は強豪なので取り組みも変えていかないといけない。
長谷部 私が見て一番良いところで言うなら、選手の個人の能力が高い。そしてパスプレー、特に攻撃面が高いので、そこを追及しつつ、少し足りないところを入れながら、攻守両面でやっている最中です。
武田、監督って理想と現実があるじゃない。良いサッカーをやりたい。でも、チームによってはセカンドボールを拾って勝つサッカーに徹しないといけないときもある。そういうジレンマは?
長谷部 ジレンマはありません。理想は失点ゼロでシュートを1本も打たせない。そして自分たちはたくさんシュートを打って得点も取れるのが一番。やりたいサッカーに近いですよ。ダイナミックさがもっとあれば「これは止められないな」という攻撃が繰り出せるという思いもあります。
武田 一緒にプレーした時代から監督向きだった。マジメで責任感もあったし、理不尽なことがあると「それは違うよ」と言えるタイプ。そういう性格だから指導者に合ってると思っていた。
長谷部 自分はトップ選手ではなかったですけど、トップ選手と一緒にやる中で彼らがどこまで考えて、どれだけ本気でやっているのか。そこは練習から感じていた。ヴェルディ時代の印象はずっとあります。
武田 影響を受けた指導者とかっています?
長谷部 神戸のときに(スチュアート)バクスターさんが監督をやっていたのを横目で見ながら、西野(朗)さん、ネルシーニョさんは、どうチームをつくっていくか。いろいろなことを広く浅く覚えて。自分は良いものを生かしている感じです。
武田 まあ、スタイルも違うし、すべてが参考になるわけじゃない。良い部分を自分なりにアレンジしていくんだな。
長谷部 それと自分は日本代表になれなかったし、そういう選手の気持ちが分かる。カッコ悪いけど、そこは大切に持っているものです。理不尽な人? そこはあんまり覚えていないです。
武田 ヴェルディは個性派集団。紅白戦ではときどき、Bチームがファウルを受けてもAチームの調整の意味もあって審判も流すときがあるけど「ダメ」と言える。その性格が指導者向き。自分が一番よく食事に連れていった選手であいさつもできるし、プライベートも知った上で、人間性は素晴らしく監督に向いているって言えるよ。
長谷部 トップの選手は自己主張が強いですから。逆なでするつもりはなかったし、試合で実力を発揮してもらうのが一番。自分はラモス(瑠偉)さんが出ないときに、少し試合に出させてもらったという感じですね。試合にはほぼ勝てる。当時のヴェルディは日本代表が6人いましたから。
武田 みんなワガママだけどな。
長谷部 ワガママって…(笑い)。年下から言うのはあれですけど、個性は強かったですよ、個性は大事なんです。とても大事な長所です。
☆はせべ・しげとし 1971年4月23日生まれ、神奈川・横浜市出身。地元の桐蔭学園高から中央大学に進み、94年にV川崎(東京V)入り。ラモスやビスマルクなど層の厚いMFで多くの出場機会を得た。97年に川崎、98年に神戸、2001年からは千葉でプレー。引退後の06年から神戸でスカウトや指導者となり、18年に水戸監督に就任。20年に福岡監督としてルヴァンカップを制覇し、25年から川崎の指揮官を務める。173センチ、69キロ。












