西武やアスレチックス、オリックス、巨人、中日でプレーした中島宏之内野手(42)が27日に24年間の現役生活に幕を下ろした。
この日、自身のインスタグラムを更新した中島は「バットを置きます。野球人生を通じて、素晴らしい監督やコーチ、チームメートに出会えたことを幸せに思います」との言葉とともにファンへの感謝をつづった。
中島は2000年のドラフト5位で西武に入団。松井稼頭央(前監督=49)がメッツに移籍した04年から遊撃のレギュラーとなり、打線の主軸としてもすぐに穴を埋めた。一軍昇格1年目から〝負けん気〟の強さを前面に押し出すプレーで、弱みを見せることは決してなかった。
開幕間もないダイエー戦(現ソフトバンク)で、2歳年上の相手先発右腕に死球をぶつけられると「あのガキ!」と闘争心むき出しで向かって行くほどの負けず嫌いだった。
24年のキャリアで一つのハイライトとなったのが08年、巨人との日本シリーズ第7戦(東京ドーム)だった。
第6戦に勝った西武が逆王手をかけ、どちらが勝っても日本一という最終戦。1ー2で迎えた8回に片岡の死球と盗塁、栗山の送りバントで相手リリーフ・越智から一死三塁の同点機を迎えた。続く3番・中島の初球に西武は「ゴロゴー」を仕掛け、三走・片岡は中島の力のない三ゴロでギャンブルスタート。巨人の三塁手・小笠原が捕球した時点で、すでに同点となる本塁を陥れていた伝説の走塁だ。
当時、中島は第5戦で左わき腹の肉離れを発症し、走ることもままならなかった。それでも6、7戦と強行出場を続け、そのすべてで安打を記録。試合前の打撃練習もできない状態だったこの試合では、わき腹の状態悪化を知る西武ベンチが「とにかくバットに当ててゴロを転がしてくれればいい」と初球に「ゴロゴー」を仕掛け、その打球の弱さが奏功した形となった。
まともにバットを振ることすらできなかった中島にとっては、この弱々しい三ゴロこそが値千金。手負いの中でもできる最高の〝フルスイング〟だった。
試合中は弱音を吐かず、ファイティングポーズを崩さない熱血漢は昨年9月、中日から戦力外通告を受けたが「体のどこが痛いとかはない。まだやりたい」と現役続行を目指し自主トレを継続していた。しかし、待ち望んでいたNPB球団からのオファーは区切りとしていた26日までに届かず、最後は静かに現役生活に終止符を打った。












