ジャパン女子以降もともに戦い続けた神取(左)と風間ルミさん(1993年10月)
ジャパン女子以降もともに戦い続けた神取(左)と風間ルミさん(1993年10月)

 ――ジャパン女子では、後にLLPWをともに立ち上げる故風間ルミさんと出会った

 神取 風間はシュートボクシングをやってたから、一緒に四天王って言われて試合してたね。ジャッキー(佐藤)さんの件(※)があって、「もうジャパン女子は嫌だな」ってなった時も風間から「戻ればいいよ」って何度も連絡が来て。断っていたんだけど、そのうちにジャパン女子が解散になるってなって。その話し合いの場に風間が呼ばれなかったっていうのを聞いて、この団体に骨をうずめようとして試行錯誤苦労した人を、そんな扱いは失礼な話だろと思ったんだよ。風間も「そのまま終わりたくはない」って言うから、じゃあ団体立ち上げようってなった。

 ――その頃はフリーで活動していた

 神取 そんなに試合もなかったから、時折北海道に行って農業高の実験で使われた野菜を販売するお手伝いをして、お小遣いを稼いでたんだよ。もうプロレスを辞めようかなとも思ってたけど、風間と話したりして気持ちが戻った。

 ――LLPW旗揚げで苦労したことは

 神取 リングを揃えるのに、当時はリング1つで600万から800万だった。高価だったからどうにかスポンサーを集めてお金を工面してもらったんだけど、お金が揃ったところで仲介してくれてた人にそのお金を持ち逃げされて、風間と絶望したよ。その後もさ、借金してようやく手に入れたリングが届いたら、力道山が使ってたぐらいの古いリングでロープがものすごく高いんだよ。みんなひっくり返って落っこっちゃうけど、買い替えるにはお金もないから、風間と一緒に溶接し直して自分たちでリングの構造を調べて作り替えたりした。

 ――風間さんの存在は

 神取 覚えていないくらいささいなことでケンカばっかりしてたけど、団体をゼロから立ち上げて今に至るのは、常に風間と支え合ってきた時間があるから。風間みたいな人とはなかなか巡り合えないと思ってる。毎年仏壇に手を合わさせてもらってるけど、風間のおばさんが「お墓を荒らされたくないから」って誰にもお墓の場所を教えてなくてね。何度も説得してるけど、まだお墓にたどり着けてないんだ。でも、今も心の中ではつながってると思ってるよ。

 ――38年の現役生活で最も影響を受けた人は

 神取 会ったことないけど力道山かな。LLPWを旗揚げした時はバブルがはじけた直後で、スポンサーがなかなかつかなくて。プロレスって女子の方が先に日本に来ているのに、なぜ男子の方が人気があるんだろうって調べまくった。そしたら力道山は社会貢献を第一に考えてプロレスを始めたっていうのを読んだ。うちもそれを主軸にしようと思ってこれまで団体をやってきたら、そのうちに輪が広がっていったね。今も地域貢献をできるように働きかけてるよ。これからも力道山のように社会に対して影響を与えるようなプロレスをしていきたいよね。

 ――今後も現役を貫くのか

 神取 自分に「何クソ!」っていう気持ちが湧かなくなったり、体が動かなくなったら、そろそろだよねって思うけど、まだまだ元気だからね。だから、自分の戦う姿を見て、どんな年代の人にも「何ごとも挑戦するのに年なんて関係ない」って伝わったらいいと思ってる。還暦祭りでも、そんな姿を見せて「自分も前を向いて頑張ろう」って気持ちを与えられるような試合をしたいと思ってるよ。(インタビュー・木元理珠)

 ※87年7月18日の神奈川・大和大会は、神取がジャッキーさんの顔面を殴るケンカマッチに

 ☆かんどり・しのぶ 1964年10月30日生まれ、横浜市出身。町道場で15歳から柔道を始め、84年世界女子柔道選手権で銅メダルを獲得。86年にジャパン女子プロレスに入門し、同年8月17日の旗揚げ戦(後楽園)でデビューした。団体崩壊後の92年8月に故風間ルミさんらとLLPWを旗揚げし、93年には全日本女子プロレスとの対抗戦で北斗晶と2度の死闘を繰り広げた。2004年7月の参院選で落選したが、06年10月に繰り上げ当選し政治家としても活躍。得意技は神取スペシャル。170センチ、75キロ。