【森脇浩司 出逢いに感謝(59)】王貞治監督は胃がんの手術後、すぐにスポーツ紙をチェックし、楽天・フェルナンデスのファクス写真を代行監督を務めていた僕に送ってくれた。小粒になっている打線を気にかけ、もう一度こういう打撃をイメージしてくれと。何度も言いますが、868本塁打の数字以上に人間として素晴らしい。僕にとって大きな出来事だったし、それを1枚のファクスが教えてくれました。
王監督の思いは日本一の奪回。しかし、それを実現することはできませんでした。シーズンは3位で終わり、プレーオフに出場。西武との初戦、斉藤和巳と松坂大輔とのすごい投げ合いは忘れられない。ファーストステージは勝てたけど、セカンドステージで日本ハムに敗れ、日本シリーズ進出はなりませんでした。あくまでも日本シリーズを勝つことで代行の責任を果たすと考えていた。そこに到達できなかったので、イコール果たせなかった。王さんにこの報告しかできないやるせなさを感じました。
札幌で最終戦の日本ハムに負けた10月12日夜、選手の労をねぎらい、また来季に向かっていこうという話をしました。部屋に戻り、しばらくして退院して自宅におられた王さんに電話を入れました。「勝つことができず、申し訳ありませんでした」と言うと、王さんはすぐ「分かった。それ以上言うな」と…。僕が何を思っていたか、分かっていたはずなんです。
僕は責任を取って辞めようと思っていた。お前だとそんなふうに考えているだろうと、王さんは分かっていたので「それ以上言うな」と言った後「責任は辞めることで取るというのと、もう一回達成できなかったものを達成して責任を果たすというものがある」と言われたんですね。
僕はすぐに来年のことは考えず、しばらく部屋にいましたが、頭の中は王さんの言われたことに支配されていました。十分なことができなかったという思いの中で僕なりにけじめをつける必要があると考えていた。あれだけのすごい胸板とふくらはぎをしていた人が15~20キロも痩せている姿を見て何を思うか。今こそ恩返ししたいとか、あの人のために頑張りたいとか…。しばらくそういう時間が過ぎ、もう一度王さんと来年もやるぞ、となったんです。
王さんは翌2007年の春季キャンプから監督業に復帰しましたが、チームは3位に終わり、08年は12年ぶりに最下位になった。王さんは監督を退任し、代わって秋山幸二新監督が発表されました。その時も王さんに「僕も一緒に辞めます」と言ったら「俺も球団には残る。俺を助けてくれたように今度は秋山を助けてやってくれ」と言われ、ヘッドコーチとして残ることを決めました。
王さんの14年間に及んだホークスでの監督生活の最後の試合は、10月7日、仙台での楽天戦。試合後、セレモニーで王さんに花束を渡したのはライバルの野村克也さんでした。











