【森脇浩司 出逢いに感謝(56)】2003年からはコーチとして一、二軍を行き来することになり、04年にIT大手のソフトバンクが球団を買収。福岡ソフトバンクホークスとなって常勝チームを継続させることになりました。
コーチに降格も昇格もない。根本陸夫前監督がよく言っておられたのは「あの環境、あの人に預ければ、どこよりも余計な時間を使わずに作ってくれる。それが仕事人の基準なんだ」と…。王貞治監督から「3年やるから二軍を整えてくれ」と言われました。二軍監督として僕なりに二軍の環境を整えたつもりでしたが、2年終わってまた一軍に呼ばれたんです。
2004年、ダイエーは勝率1位でシーズンを終えたものの、その年から導入されたプレーオフ制度のセカンドステージで西武に敗れ、日本シリーズ進出を逃した。ソフトバンク1年目の翌05年も2年連続で勝率1位だったにもかかわらず、またしてもプレーオフでロッテに敗れ、最終順位は2位。とんでもない悔しさがありました。2位に5ゲーム差があればアドバンテージの1勝がつくんですが、何のいたずらなのか、不思議と2年間とも4.5ゲーム差だった。まだルールも1年ごとに揺れ動いていた時代だったのでもどかしかったですよね。
そんななかで勝てなかったという事実だけが残る。また今までと違ったV逸という…。周りから「ここ一番に勝てない」というレッテルを貼られるし、それをはねのけていかないといけない作業も必要になってきますしね。
プレッシャーはつきものだし、プレッシャーがあるから頑張れる。二軍コーチでスタートしたころは毎日に余裕がなくて一生懸命だけど、どのコーチになっても大きな責任はある。後にオリックスで監督も務めることになるわけですが、そうはいっても客観的に捉えた時に日々の重圧が一番大きかったのはいつかと言うと、06年6月に王監督が病気で療養し、僕が監督代行を務めた時です。
例えば前任者が一生懸命やってもうまくいかず代行になった、というケースもある。うまくいかなかったんだから180度違う手を打つことだってできますよね。でもうまくいってなかったわけではなく、たまたまアクシデントがあって、それを引き継ぐという代行でした。世間も野球関係者も過去の代行で一番しんどかったのはこれだね、と言われました。
だからといって押しつぶされそうになったわけではないですよ。王さんが率いていたチームを引き継いで、いつか戻さなきゃいけないし、預かったものをおかえりなさいと渡すことが前提なわけです。お隣の親しい夫婦が旅行に行くから子供さんを半年間、預かった。擦り傷ひとつないくらいしっかり見てくださいよ、と言われるような…。
日本シリーズで勝つことが前提。その年はスモールベースボールへと転換していく時期でもありました。









