石川県知事の馳浩氏が17日、都内で開かれた「NITTAIDAI×自治体フォーラム2023~体育・スポーツ・健康づくり交流で地域を活性化する~」(松浪健四郎理事長)で基調講演を行った。
馳氏は講演で「なぜプロレスラーが石川県知事になったのか」をテーマに松浪氏との思い出のエピソードを交えながら話し始めた。
初めての出会いは17歳の冬。全国の高校生レスラーが日本を代表するコーチから指導を受けてレスリング競技の底上げをする合宿だったという。
「この人(松浪氏)は面白いなと思ったのは夜、お話をしていると、必ず2、3冊の本を読んでいるんです。必ず本を読んで原稿を書いている。それまで私が知っているスポーツ指導者は夜、酒を飲む人はいても、本を読んで原稿を書いている人はいなかったです」
専修大学に進学した馳氏は当時、レスリング部でコーチだった松浪氏のもとで指導を受け、卒業後は母校の星稜高校で国語の教員として教鞭を執り、1984年にロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルの出場を果たした。
馳氏は続いて自身のプライベートでも松浪氏からお世話になったことを明かした。
「私はなんとですね、2回結婚しているんです。1回目の結婚も2回目の結婚も相手を紹介してくれたのは、松浪理事長です。ほぼ全財産を前の女房に渡し、一文無しで離婚をして落ち込んでいる時に、松浪先生が次の女房の高見恭子さんを紹介してくれた。高見さんは昔からプロレスラーと結婚したいと、番組で共演していた松浪先生に言っていたらしくて首尾よく結婚に至りました」
その後、馳氏は自民党国会議員となり、27年間の政治家人生で37本の議員立法を作った。これは田中角栄元首相の34本を抜いて1位だという。
「37本の法律を作る中で、印象に残っているのはスポーツ基本法です。前身のスポーツ振興法は昭和36年に成立。東京オリンピックの3年前です。2回目の東京オリンピックを招致する時にスポーツ振興法のままでは、国がバックアップできないので、スポーツ基本法という法律に改めようと作業をした時の事務局長が私で、当時の自由党を代表して知恵を授けてくださったのが、国会議員の松浪健四郎代議士。前文には『スポーツは〝世界〟〝人類〟共通の文化である』と最初に書きなさいと言われた。さすがスポーツ人類学者だな、と」
松浪氏は講演を終えた馳氏に「ありがとう」と声をかけていた。












