【多事蹴論(68)】日本代表の天才レフティーがスペイン1部レアル・マドリードに移籍しなかった理由とは――。1996年にJ1横浜Mに入団した俊輔は、すぐに定位置をつかむと、10番を背負ってシドニー五輪に出場した2000年にJリーグの年間最優秀選手(MVP)に選出されるなど、トップ選手に成長。日本のエースMF中田英寿がイタリア1部ローマで大活躍していたこともあって、海外進出を強く意識するようになったという。
01年のコンフェデレーションズカップでフィリップ・トルシエ監督が率いる日本代表が準優勝すると、大会後にMF稲本潤一がイングランド・プレミアリーグの名門アーセナルに移籍。MF小野伸二もオランダ1部フェイエノールトに加入した。俊輔にも多くの欧州クラブが獲得への興味を示し、イタリア1部アタランタ、同ペルージャ、ポルトガル1部ポルトも調査していたという。
そんな中、注目されたのは「白い巨人」と呼ばれるRマドリードからの“オファー”だった。俊輔がスペインへのあこがれを抱いている中、Rマドリードも精度の高い左足キックを評価。3部所属のRマドリードBからのスタートと伝えられていたが、欧州チャンピオンズリーグ(CL)制覇など数々の偉業を成し遂げた最強チームでプレーする可能性もあり、02年W杯後のチーム合流に向けて「移籍内定」とも報じられた。
02年5月には日本代表がスペインでRマドリードと対戦(0―1で敗戦)。俊輔の「最終テスト」との見方も出ていたが、左ヒザの負傷でプレーできなかった。この際、俊輔は本紙の直撃に「(Rマドリードから)声をかけてもらってうれしいし、光栄だと思う。交渉があったときから興味があった」としファンに向けて「フィジカルではなく、テクニックやスキルを見てほしい」と語っていた。
ただ、移籍交渉は難航しているとも伝えられていた。俊輔は「僕がケガしていることがあるのかもしれない。ケガが重いって(Rマドリードに)伝わっていると聞いている。それで滞っているって…。代理人(ロベルト佃氏)が来ているので試合が終わったら交渉すると思う。話し合いがうまくいくことを願っている」と語っていた。
結局、Rマドリード入りはかなわず、負傷の影響などもあって日韓W杯メンバーからも落選。それでも同年夏にイタリア1部レジーナに移籍した。俊輔は今年、テレビ番組に出演した際、Rマドリードとの破談について「Bチームだと(3部なので)試合数とか(少なくて)あんまり出られないかなというイメージもあって。今はないかなと思い、レジーナに移籍した」と告白していた。
その後、俊輔はスコットランド・プレミアリーグのセルティック、スペイン1部エスパニョールで活躍したが、Rマドリードで躍動する姿も見たかった。 (敬称略)










