【プロレス蔵出し写真館】統一地方選挙後半戦は本日23日に投開票される。品川区議選で木村健悟、文京区議選は西村修がともに4選を目指している。ここ何年か、政治家を目指す現役・OBレスラー、格闘家が増えているが、政界に進出するきっかけが昨年10月に死去したアントニオ猪木さんというレスラーが多いことには驚きだ。
2020年9月に大阪・和泉市議選で3選を果たしたスペル・デルフィンもその一人。12年9月に初当選したデルフィンは、03年に岩手県議選でトップ当選したザ・グレート・サスケに次いで2人目の〝覆面議員〟となった。
デルフィンは「猪木さんは世界を相手にしてたけど、身近な(自分の)地元でもできるということ見せたかった。プロレスラーはどうしても筋肉バカのイメージがある。そんな人間ばかりじゃないことを証明したかった」と明かす。
ところで、デルフィンがプロレス入りするきっかけとなったのは、あのビートたけしが猪木挑戦を宣言して旗揚げしたTPG(たけしプロレス軍団)だったというのは意外に知られた話だろう。
今から35年前の87年(昭和62年)11月6日、東京・有楽町のニッポン放送で行われた第1次新人オーディションは、「ビートたけしのオールナイトニッポン」に合わせ、夜中の1時から始まった。全国から200人以上の志願者があり、書類審査を通った20人が集合。審査委員長のマサ斎藤、たけし軍団のガダルカナル・タカとダンカンが見つめる中、ヒンズースクワット1500回、腕立て伏せ500回、足上げ腹筋を500回という地獄のメニューに挑んだ。
このオーディションは「オールナイト――」でも実況中継され、たけしは「スゴイな。根性あってな。オレ、もう身銭切ろう。だめだったらたけし城で使えばいいんだから。『(風雲!)たけし城』に出しながら練習やらしちゃう」と、熱気が伝わったのかすっかり感激した様子。次々と脱落者が増える中、4名が最終審査に残り、その中に後のデルフィン、20歳の脇田洋人もいた(写真)。
「ヒンズースクワットのスピードがえらく速いんですわ。(佐々木)健介さんには『アレは速すぎましたよ』って(ずいぶん経ってから冗談で文句を)言いました。斎藤さんは『レスリングで基礎を固めてもう一度挑戦して来い。デビューできるぞ』と言ってましたね。その後? ヒンズースクワット1000回やるためだけにTBSの緑山スタジオ(神奈川・横浜市)に通ってましたね」(デルフィン)。
そして、東京・西馬込のプロレスショップ「マニアックス」の地下トレーニングルームでは菅原伸義(後のアポロ菅原)の指導を受け練習に励んだ。ここには後の邪道(秋吉昭二)、外道(高山圭司)も参加していた。菅原が当時を振り返り、「テレビ朝日系『ビートたけしのスポーツ大将』で練習生同士の試合を組みました。デルフィンはシングルマッチをやったけど、素人とは思えないくらい上手くてね。驚きましたよ」と明かした。
デルフィンは「フィニッシュはジャーマンから後方回転してフォールしました。マヤ式? いえ、デルフィンスペシャルです。漫画『1・2の三四郎』を参考にしてるけど、この技をレスラーで初めてやったのは僕なんで。中学からプロレスが好きでプロレスごっこをよくやってましたから(試合は)問題なかったですね。初代タイガーマスクのファンでした」と語る。
TPGは12月27日、両国大会で強引なカード変更を要求し、猪木VSビッグバン・ベイダー戦を実現させた。これにファンが怒り、暴動が発生。たけしはこれに懲りてTPGは雲散霧消した。
デルフィンはその後も練習を続け89年、格闘家のジェラルド・ゴルドーに誘われオランダに渡り、3月19日、モンキーマジック・ワキタと名乗り、ブルドッグ〝パニッシュ〟KTこと外道を相手に念願のプロレスデビューを果たしたのだった。
さて、和泉市議3期目のデルフィンが22年に議員提案し、4月に大阪府で採択された条例がある。
「インターネット上の誹謗中傷や差別等の人権侵害のない社会づくり」
同年6月には和泉市でも施行された。デルフィンは「木村花さんの一件があったから」と語る。女子プロレスラーの木村さんは、フジテレビなどで放送された「テラスハウス」に出演。番組での言動をめぐりSNSで誹謗中傷を受け、精神的ダメージを負ったことを告白。20年5月23日、自ら死を選んでしまったのだ。
来月5月23日には、後楽園ホールで木村花さんのメモリアルマッチ「pinx!」が開催される。デルフィンも、木村さんの想いを胸にこのリングに立つ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













