時代は一気に新しくなるが1990年代最大の怪奇派覆面レスラーは、レザー・フェイスだろう。92年にW★INGに初来日。ホラー映画「悪魔のいけにえ」に登場する殺人鬼レザー・フェイスそのままのコスチュームで、チェーンソーを全開させて場内を徘徊。観客を恐怖のどん底に叩き込んだ。

 体格も190センチ、125キロとデカく、パワーファイトも迫力があった。正体は元米空軍出身のマイク・カーシュナーで、WWF(現WWE)参戦経験もある実力派だったが、91年から米国でレザー・フェイスに変身し、一気にトップヒールとなった。

 当時のW★INGはメチャクチャな団体で、レザー・フェイスの大暴れにより体育館の設備を何度も破損。使用不可能になった会場も多かった。しかしプロレス史に残る伝説の一戦も残している。ミスター・デンジャーの異名を取ったデスマッチ王・松永光弘との「スパイクネイルデスマッチ」(釘板デスマッチ=92年12月20日、戸田市スポーツセンター)だ。

 アントニオ猪木対上田馬之助戦(78年2月8日日本武道館)以来約15年ぶりの釘板デスマッチは1枚の板に648本の釘が打ちつけられ、リング四方を22枚合計1万4256本の五寸釘が取り囲む危険極まりないデスマッチとなった。

 猪木―上田戦は結局両者とも釘地獄に落ちることはなかった。この日も「いくら何でも本当に落ちることはないだろう」とも思われた。しかしレザー・フェイスはラリアートからのタックルで松永を場外へ突き落とす。松永は背中からズブリと無数の五寸釘地獄のエジキとなり、レザー・フェイスがKO勝ちを収めた。しかしこの試合で名前を上げたのはむしろ松永。どんな危険も恐れないデスマッチ王として独自の路線を貫き大人気を集め、インディマットの雄となった。

 一方のレザー・フェイスはその後、スーパー・レザーに名前を変えて参戦。その後も日本にはたびたび「レザー・フェイス」を名乗る覆面男が登場。中身は何度も変わっているというのが定説となっているが、初代にかなう者はいまだに現れていない。