ついに信念が結実した。新日本プロレス8日の両国国技館大会で行われたIWGP世界ヘビー級選手権は「NEW JAPAN CUP(NJC)」覇者のSANADA(35)が、王者オカダ・カズチカ(35)を破り、第7代王者に輝いた。2005年11月の入門テスト不合格から実に17年半。いつも「あと一歩」のところで届かなかった頂点の座は、亡き母にささげる日本一のレスラーの証しとなった。
SANADAは人気ユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を脱退し、「Just 5 Guys」の一員となりNJCを制覇。不退転の決意で挑んだオカダとの頂上決戦は、一進一退の攻防が続いた。レインメーカーにカウンターのデッドフォール(変型DDT)を炸裂させ、26分58秒の激闘に終止符を打った。
「やっと、やっと、IWGP世界ヘビー級王者になれました」。リング上で吐き出したその言葉は、何度も挫折を味わってきた男の本心だった。
2005年11月に新日本の入門テストで不合格となり、翌年1月の「武藤塾」に合格。07年3月に全日本プロレスでデビューした。新日本マット初登場は16年4月で、キャリア初となる団体最高峰のベルトを取るまでには、さらにそこから7年もの月日を要した。
潜在能力の高さは評価されながらも、IWGP挑戦を4度失敗するなど、肝心なところで結果を残せない日々が続いた。それでも自分の信じた道を貫き、一度は〝門前払い〟を食らった国内最大団体のトップに立った。
「苦しい時期も、一番好きなことで中途半端に終わってしまったら、何をやってもダメだろうと思ってて。やめようにもやめられなかったですね。諦めなければ、こういう日が来るんだなと思いました」と胸を張った。
今の姿を見せたかった人がいる。母親の直子さんだ。入門テストに落ちてもプロレスラーになることを諦めきれなかった高校生の息子に、家族の中で直子さんだけは泣きながら反対した。
「デビューしてからもずっと反対してたんです。早くやめろって。やっぱり危険な職業だし、心配だったんでしょうね。でも、病気が見つかって…それからは見守ってくれるようになりました」
レスラーとしてはまだまだこれからという24歳だった12年に、直子さんは肺がんで亡くなった。「今でも生きていたら、どう思ってくれているのかな。この姿を見ていたら、うれしくなってくれていたかもしれないですね。見てくれてるのかな。近いうちにお墓参り行ってこようと思います」
深い愛情ゆえにリング上で命をかける息子を心配し続けた母親は、きっと日本一のレスラーになった姿を喜んでくれているはずだ。
もちろんベルトを取っただけで満足するつもりはない。「やっと取れたとは言いましたけど、決してここがゴールではないので。ここからさらに新しい景色をつくって、プロレスを盛り上げていきたい」と誓った新王者が、業界の新たな主役となる。













